ったので、田畑づきの別荘番としては、これ以上の適任者は見当らない。
亮作は耕作の知識がなかったので、つづいて金時に居てもらうことにしたが、二町歩の耕地の実りは大きいから、敵が上陸してくるまでは、金時の働きで左ウチワの生活ができるのである。
たった一日でフシギな変動であった。鶏小屋住いの無一物の亮作は、今はしかるべき富豪になっていた。それは敵の上陸をめぐって計算された取引であったが、敵が上陸してくるまでは彼が別荘の主人であるのはマギレもない事実であった。
亮作は満足であった。そして自分の物となった座敷へあがってボンヤリしていた。戦争中の人間は自由の時間にボンヤリするのが例であったが、亮作はもっとボンヤリした。
金時が部屋へきて、彼のうしろに立った。
「フトン買ってくれ」
「フトン?」
「カヤもいる」
「お前、もたないのか」
「お前も、もたないだろう」
亮作の胸にほろ苦いものがこみあげる。やっぱり無一物なのだ。彼は憤りを覚えた。
「私の毛布、一枚わけてやる。それで、たくさんだ」
「冬にこまる。いま、買っておけ」
「フトン背負って、戦場を逃げて廻れるものか」
「オレが背負ってやる。カヤも買え」
「カヤはいらん。今に穴ボコの中で暮すようになるのだ。穴の中にカヤはつられん」
「つれる。つれる穴をつくってやる。鍋と釜を買え」
「私が持っとる」
「小さい」
「小さくない。四人で充分にくえる」
「くえん」
「お前バカだな。あの釜は一升たける」
「三升たかねばならん」
「お前、一食に一升くえるか」
「オレは一日に五へん食う」
亮作は二の句がつげない。金時は彼をあわれむようにジッと見つめていたが、さとすように言った。
「みんな買っておけ。今が安いぞ。オレが安く買ってきてやる。持ってる金、みんな、だせ」
「どうするのだ」
「金のあるだけ品物を買う」
「バカだな。一文なしで、くらせるか」
「心配するな。オレにまかしておけ」
「電燈屋がきたら、どうする」
「畑の物を売って払ってやる。お前は心配するな」
「そうか。本当に大丈夫か」
「大丈夫だ」
「そんなに買いこんで、戦争のとき、持って逃げられるか」
「オレにまかしておけ」
亮作は金時の言葉にたのもしいものを読みとったので、包みをといて、虎の子をだした。二千余円残っている。
そろって、買物にでた。
金時はまず大八車を買った。それは長年月納屋の奥に置きすてられた廃品で、峠越えの疎開用には役立たないシロモノであった。金時はかねて目をつけていたのである。修繕すればまだ使えると亮作に教えた。疎開騒ぎで値のでているのは大八車が筆頭だったが、これは法外に安かった。それでも、大八車が結局最高値の買い物であった。買った品々は車いっぱいになってしまった。
「お前、酒すきか」
「うむ。酒が買えるのか」
「オレが造ってやる」
金時は徳利と杯を買い、瓶を二つ買った。亮作は、なんともいえない有難さがこみあげた。天に向って感謝したい思いであった。
「お前も酒すきか」
「オレはのまん。オレは腹いっぱい食うのが好きだ」
最後に魚釣りの道具一式買った。
「畑はオレが一人でする。お前は用がないから、退屈したら、魚釣っとれ」
「そうか。釣れるか」
「釣れるだろう。イヤなら、やめれ」
「やってみる」
やがて、終戦がきた。
亮作はこのような幸福を夢にも描いていなかった。彼は大八車いっぱいの荷物と金時と共に穴ボコの中に生き残り、廃墟へもどって、いち早く耕作して、生活の安定をはかることを希望していた。それだけでも充分に希望を托しうる未来であった。しかるに家も畑も残ったのである。
亮作は毎日街を歩きまわった。落付いて坐っていることができなかった。家と田畑と源泉の所有者だという実感が、孤独な部屋の物思いでは、とらえがたかったからである。ハッとして気がつくと、思わずポロポロと泣いたが、それが所有者の満足だとも思われない。そして急いで街へでる。日ごとに街を歩きまわった。
単調な戦争中には見られなかった小さな変化が街の諸方に起っている。亮作はそれらをツブサに目にいれた。
それは亮作とは何の関係もない変化であった。所有者になったという自覚を与えてくれるものは、ひとつもなかった。それでも、彼には、なつかしいのだ。小さな変化を見るたびに泌々《しみじみ》と目にしみる。心があたたかくなるのであった。
彼はある晩、表札をださなければならないと思った。
彼はその時まで表札をだしていなかった。手紙のくる筈がなかったし、もらいたい手紙はひとつもなかった。あらゆる過去に愛着を失っていた。梅村亮作は死んでいる。ひとつ、新しい別人の表札をだしてやろう、そう考えると、こみあげる愉快な思いにたまらなくなった。
彼は窓を開け放して、澄んだ夜空を仰ぎなが
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