は野口のずるさを憎んだ。
「この十倍も大きくて立派な別荘がたった五千円で売りにでていますよ。それでも買い手がありません。あたりまえですとも。一二ヵ月あとには、跡形なく吹きとばされるのですから。一二ヵ月の家賃ですから、まア、高くて百円です。あなたの家でしたら、三十円ですな。それでも高いぐらいです」
亮作は残酷な笑いをうかべた。
「冗談云っちゃいけません。消えてなくなる別荘とはちがいますよ。土地と源泉がついています。何十トンのバクダンでも、これをどうすることもできないのです」
野口は薄笑いをうかべて言い返した。一万円は持たないようだ。すこし高すぎたかな、と思った。そして高圧的な商談をたのしそうに語りつづけた。
「あなた、ひがんではいけませんよ。たとえば、単に別荘だけでしたら、金殿玉楼も買い手がないのは当然かも知れません。いま敵に追いつめられ、窮亡のドン底にある我々に、最大の財産はなんですか。言うまでもなく、自給自足しうる土地ですよ。田畑ですよ。いいですか。現在に於ては、そうなんです。しかし、平和恢復後の未来に於ては、田畑の値は下るでしょう。そのときに高値をよぶのは何でしょう。この土地に於ては、先ず第一に源泉にきまってるじゃありませんか。伊東の町にはどの住宅にも温泉がひいてあるかも知れませんが、源泉の数は知れています。おまけに、ここの湯は自噴ですよ。伊東に自噴の源泉なんて、いくつも有りゃしませんよ。大部分がモーターであげているのです。現在に於ける最大の財産と、未来に於ける最大の財産と、二つを一とまとめにして、しかもこれが空襲にも艦砲射撃にも絶対不変の財産ですが、それで一万が高すぎますか。私は親しくしていただいたあなたなればこそ、安くお譲りしようと思っているのです。一万円なら誰だって飛びつきますよ。しかし、見ず知らずの人に売るのでしたら一万円じゃ売りませんとも。失礼ながら、焼けだされて無一物となったあなたのために、すこしでも尽してあげたいと思ったのですよ。お別れすれば再びお目にかかる機会があるかどうか分りませんが、私としては、最後の友情のつもりなんです。餞別にそっくりタダで差上げたいのは山々ですが、私も焼けだされだから、そう気前よく出来ないのが残念です」
「近代戦の上陸地点の激戦の跡というものは、満目荒涼、山の形も川の流れも変るでしょう。草も木も、小鳥も虫も、何もありません。どこに伊東の町があったか、見当もつかないでしょう。あなたの地所が川か沼にならなければ幸せというものですな。温泉町として復活するにも二十年はかかるでしょう。そのころは、私は死んでいるでしょうな」
亮作は、また、残酷に笑った。
「すると、日本は亡国ですな」
野口はやりかえした。
「すべてを失った後に於て、日本は勝ちます。太古にかえり、太虚に至って、新世界の黎明が現れます。日本は太虚であり、太陽であり、新世界の盟主です。記紀に予言されたところであり、歴史的必然です」
「そうあって欲しいものですよ。ところで、梅村さん。穴の中に隠れてくらすにしても、人間は何か食わずには生きられませんよ。穴の中の生活に配給はありませんぜ。自分の畑がなくて、あなた、どうなさる。この畑には、鶏小屋も鶏も附属していますぜ。日本の現状に於ては、まさに王侯じゃないですか。第一、私がこの別荘を人に売ったら、あなたは鶏小屋を追われます。あなたの身柄までひッくるめて、買ってくれる人はいませんからなア」
それは亮作に何より痛いところであった。もしも、買い手がつけば、亮作が追んだされるのは、まぬがれがたいところだろう。
しかし亮作はひるまなかった。
「ええ、どうぞ。買い手を探して下さい。私に遠慮はいりません。ひさしく寄席も芝居も見ませんが、この家を一万円で買った人間の顔を、見るのを、笑いおさめに、鶏小屋から立ち去ることに致しましょう」
一万円はまずかったな、と野口は思った。露店のセリの要領で、まず一万と値をつけたが、たしかに高すぎた。この値では買い手がない。追い立てをくう不安がないから、亮作はつけこんで、いきまいている。
「ほんとに、人に売ってもいいのですね」
野口の顔色が、ちょッと変った。
「ええ、ええ。どうぞ。ひさしく笑うことを忘れていましたから」
「五千円なら買いたいという人があるんですが、おことわりしたんです。しかし、私も、金と命をひきかえるのはイヤですから、値ぎられるよりも、時間のちぢまる方が、なお怖いですよ。あなたは売り別荘続出で、買い手がないとタカをくくってらッしゃるようですが、大戦争の生きるか死ぬかの瀬戸際にも思惑をはる商売人がいるもんですよ。私も、つくづく、呆れました。別荘を買い漁っている人種がいるのです」
「それに似た話はきいております。しかし、私のきいたのは、買い漁ってと云
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