投げこまれていた。
穴の中に住む一部隊の乞食たちがだんだん聖賢に近づいているのは無理ではない。居と住に於て不安がなく、むしろ栄養にめぐまれているからである。
ただ一人亮作のみは――否、名を変えた後の水鳥亭山月に於ても、彼が獲て、また必死に守りつづけているものは、一軒の家とささやかな畑のみであり、そして彼の衣食住は戦争中と全く変りのないものだった。彼は自分の畑の物を食べる以上にどんなゼイタクもできなかった。金がなかった。職もなかった。否。彼は温泉と畑づきの家主たることに誇をもちすぎてしまったのである。フシギなことであるが、その心境は、斜陽族という言葉が何より当てはまるのかも知れない。すでに彼には気位があった。落ちた物を拾うわけにもいかないし、職を得て働くことすらもイサギヨシとしないのだ。
彼は穴の中の住人中で特に精彩を放っているオヤジの存在を知っていた。道路拡張、道路拡張と呟きながら静かに逍遥している姿を見たこともあるし、彼がもと中学校の教師であったことも聞き知っていた。
彼はオヤジの存在を知ったとき、皮肉な満足を覚えたことも事実であった。自分は中等教員を半生の願いとしながら、中等教員にはなれなかったが、温泉と畑づきの別荘の主人になった、と。そして、もと中等教員は穴の住人にすぎないのだ、と。
しかし、戦争の影が薄れるにつれ、彼の生活がつまる一方であることの悲しさが深まるにつれ、彼が他の誰よりも思いだすようになったのは「オヤジ」の存在であった。それは彼の怖しい心の秘密だ。そして、この秘密だけは誰にも知られたくないのであった。
オヤジの安定した生活にひきかえて、彼の生活は不安定そのものだ。何も収入がないのに、税金や寄附に攻められ、歯をくいしばって浮世の見栄を守らねばならない。温泉と畑づきの別荘の所有者とは云いながら、見ようによればオヤジとても温泉と畑の所有者ではないか。彼らは露天ブロを所有しているようなものだし、畑だけでなく、海の漁場も野の牧場も所有しているようなものだ。山海のあらゆる味を探しだして食うことができるのである。
彼はしかし乞食を軽蔑し、別荘の家主たることを誇る心は忘れなかった。それを忘れることができないから、いけないのかも知れない。彼はオヤジの存在に圧倒されている心の秘密に甚しく臆病になっていたのである。
「浪曲師別荘。浪曲師別荘」
オヤジは
前へ
次へ
全32ページ中31ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング