焼玉エンジンですよ。みんな輸送船に徴用されています。若い漁師は戦争に持ってかれ、年寄まで船と一しょに徴用ですよ。それで千人食べられるだけイワシがとれたらフシギですよ」
 そこで、とうとう亮作は考え深い人のように顔をあげて言うのであった。
「先日、あちらから来た人にききましたが、網をやってますな。たしか、大謀網《だいぼうあみ》もやってるそうです」
 野口はそれが亮作の挑戦であることを見抜くが、微笑を失いはしない。
「あちらッて、どこからの人ですか」
「え、沼津です。遠縁の者が、あそこの工場にいて、時々本社へ上京のたび、私のウチへ寄るのですが」
 亮作はおどおどしている。亀の子のように怯えた顔である。今にも甲羅にひッこめそうだが、頑強に言葉をつづけるのである。
「大謀網は、うまくいく時は、ブリが四五万尾はいる。海の魚は無尽蔵ですな」
「沼津の大謀網は初耳ですな。沼津は漁場ではありませんよ」
「いえ、沼津ではないのです。あのへんにちかい漁場での話です」
 亮作は泣きそうな断末魔の顔だが、必死に口をうごかす。哀れであるが、シブトく、にくたらしくもある。
 野口の顔色が変る。息づかいが、はげしくなる。
「私はこの目で見ていますよ。あなたは耳にきいたことで、私が目で見たことを否定しようとなさるのですか」
 亮作は沈黙する。
「太平洋の沿岸は敵の潜水艦でとりかこまれていますよ。真鶴《まなづる》では、大謀網に敵潜が突ッかけてしまいましたよ。ホラ貝をふくやら、大騒ぎしたそうですが、網をかぶったまま、逃げられちゃいましてね。ですからどこの大謀網もかけッ放しで、危くって、沖へでる舟はありませんよ」
 野口が顔色を変え息ぜわしくなれば満足だと、亮作の泣き顔が語っているように見える。しかし野口も、亮作が沈黙すれば、まア、満足であった。そして、社長の落ちつきを取り戻すに時間はかからなかった。
 野口は亮作にお茶をついでやって、
「どうです。一度、伊東へ遊びにいらっしゃい。今度の日曜にお伴しましょう。とにかく、別天地ですよ。ウチの畑は二町歩あります。鶏も一週間ぶんの卵を生んで、私たちを待っていますよ」
「ええ。ぜひ一度、お伴させていただきます」
 亮作も忠実な社員にもどって、ニッコリ笑う。そして、社長の善良な思いやりと、親切を、あたたかく感じとるのである。
 月曜からの六日間、野口のケチンボーに
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