をつけるためではない。蝶々はこの程度のキズをおぎなって余りある華麗な相つぐトリックの妙味にあふれているのだ。
 ただ日本の新人作家の作品には、このキズに類する不合理、トリックの不備があまりに目立ちすぎるからである。あまりに仕掛けを弄しすぎる、仕掛けを弄する必然性がなく、仕掛けを弄するだけ、それによって危険に身をさらしていることになるのだが、その計算を全然忘れている。そんなマヌケな犯人がいるものではない。
 すべてトリックには必然性がなければならぬ。いかに危険を犯しても、その仕掛けを怠っては、犯行を見ぬかれる、というギリギリの理由があって、仕掛けに工夫を弄するという性質でなければならぬ。
「アクロイド殺し」はアリバイをつくるために蓄音機を使い、それを取りもどす危険を冒す必要があった。そしてその仕掛けに要したちょッとの時間、五分ほどの差によって、トリックを見破られてしまうのである。トリックには常にかかる危険がある。それを承知で敢てせざるを得ぬ必然性がなければナンセンスで、謎ときゲームの合理性に失格しているのである。
 推理小説は、主要人物が富豪とか、政治家、女優、大選手など有名人ばかりで、
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