にはなれない。挑戦の妙味は、あらゆるヒントを与えて、しかも読者を惑わすたのしみであり、その大きな冒険を巧みな仕掛けでマンチャクするところに作者のホコリがあり、執筆の情熱もあるのである。十分にヒントを与えずに、犯人をお当てなさいでは、傑作の第一条件を失している。
だいたい推理小説は、解決篇までは、物的証拠を提出するわけには行かない。稀に可能な場合もあるかも知れないが、物的証拠をヒントにだすことは、まず不可能だ。ヒントはすべて状況証拠であるが、AでもBでもありうるという漠然さがあっては不可で、AでもBでもCでもありうる、又、Dでもありうる、というように、提出した状況証拠の漠然さが増大するほど、その推理小説は不出来であると見てよい。
つまり、ぬきさしならぬ状況証拠をハッキリ提出しておいて、尚悠々と読者を迷わすだけの構成の妙がなければならないのである。
概してこの条件を外れることの少いのは、アガサ・クリスチー女史が頭抜けており、まさに一頭地をぬく大天才である。
しかし、横溝正史も病身をおかして多作しながら、作品のキズは、常にそれほど大きなものではない。相当ムリにツジツマを合せる苦しさは
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