あるが、トリックやヒントの華麗さは、外国にもあまり例がなく、たとえば、「獄門島」に於て、犯人を和尚単独にすると手易く見破られやすい、そこで一人一殺ずつ三人の犯人を仕立てたところは、意外であってもムリであるが、三つの俳句による殺人法などのトリックは華麗であって、大いに珍重しうるものである。
 私は横溝君を世界のベスト・テン以上、ベスト・ファイブにランクしうる才能であると思っている。純粋に推理小説作家ではなく、怪奇趣味、抒情趣味が謎ときゲームの妙味を減殺しているが、時には謎にモヤを加えて役立つ時もある。私としては、抒情怪奇趣味はとらないが、それを差しひいても、彼の才能は大きい。しかし、あとに続く推理作家がいない。
 高木、島田両新人は、純粋に推理作家で、怪奇抒情趣味のないところはたのもしいが、妙に雰囲気をだそうとするのが、先ず第一の欠点。だいたい文筆に未熟のうちは、純文学の場合でも、妙に雰囲気をだしたがるもので、文章がヘタだから、尚さら、ヘキエキさせられる。しかし、これは熟練によって、次第に非を自得するに至るものだから、決定的な欠点ではない。文章のヤリクリで雰囲気をだそうとする努力は無用であるから、捨て去るがよい。横溝君も雰囲気を文章でヤリクリ苦面する傾向が強いが、筆力が逞しいので、キズにならず、読ませる。終戦前の横溝君は文章がヘタで、この雰囲気ごのみ、怪奇ごのみ、読むに堪えない作品ばかりだったが、終戦後は見ちがえる成長ぶりで、差が激しいので、いささか呆れる程である。年期をいれて、こんなに生長するということは尊いことで、後進に勇気を与えることでもある。
 横溝正史の雰囲気好みは性格的なものであるが、高木、島田両君はそうでないようだから、雰囲気はサラリとすてて、クリスチー女史の簡潔軽妙な筆を学んだ方がよい。クリスチーは私にとっても師匠なのである。
 ほかに川島郁夫という新人が、筆力も軽妙、トリックの構成も新味はないが難が少く、有望である。一番達者のようだ。
 探偵小説も、抒情派や怪奇派には、大坪、山田、宮野、香山など新人がいるが、純粋な推理小説作家ではない。
 純粋な推理小説は、謎ときゲームであり、構成の複雑さを主要な条件とするから、短篇では推理小説のダイゴ味は味わえない。アガサ・クリスチーの天才を以てしても、短篇推理小説では、読者を魅惑することができないのである。
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