の専売特許ではない、文学が人間の問題として自ら犯罪にのびるのに比べて、探偵小説は、犯罪というものが人間の好奇心をひく、そういう俗な好奇心との取引から自然に専門的なジャンルに生育したもので、本来好奇心に訴えるたのしいものであるべきで、もとよりそれが同時に芸術であって悪かろう筈のものでもない。
木々氏は芸術と云うけれども、私は別の意味で、文章の練達が欲しいと思う。文学のジャンルの種々ある中で、探偵小説の文章が一般に最も稚拙だ。
呪われたる何々とか怖ろしい何々とか、やたらに文章の上で凄《すご》がるから読みにくゝて仕様がない。そういう凄がり文章を取りのぞくと、たいがいの探偵小説は二分の一ぐらいの長さで充分で、その方がスッキリ読み易くなるように思われる。
凄味というものは事実の中に存するのだから、文章はたゞその事実を的確に表現するために機能を発揮すべきものだ。
その次に、日本の探偵小説は衒学《げんがく》すぎるところがある。ヴァン・ダインの悪影響かと思うが、死んだ小栗虫太郎氏などゝなると、探偵小説本来の素材が貧困で、それを衒学でごまかす、こういう衒学は知性のあべこべのもので、実際は文化的貧
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