ぜりあい》があつたぐらゐの所だらうと独り合点をし、三時間余り有り合せの本を読んでゐた。いくらか冷たい風はあつたが、快晴である。西の窓に明神岳がくつきりと見える。ガランドウが環翠楼へ行くんだつたら一緒に行つて一風呂浴びて来るのであつたが、と考へた。環翠楼には知人もゐる。僕は生来の出不精だけれども、小田原の天気の良い日は、ふと山の方へ歩きたいやうな気持になる。このあたりは、多分、空気に靄が少いのであらう。非常に陰影がハッキリしてゐて、道が光り、影があざやかに黒いのである。
 ガランドウと行き違ふと悪いので、箱根の入浴は諦めたけれども、顔でも剃つて、旅らしい暗さを落さうと思つた。街へ出たのは正午に十分前。小田原では目貫《めぬき》の商店街であつたが、人通りは少なかつた。小田原の街は軒並みに国旗がひらめいてゐる。街角の電柱に新聞社の速報がはられ、明るい陽射しをいつぱいに受けて之も風にはた/\と鳴り、米英に宣戦す――あたりには人影もなく、読む者は僕のみであつた。
 僕はラヂオのある床屋を探した。やがて、ニュースが有る筈である。客は僕ひとり。頬ひげをあたつてゐると、大詔《たいしょう》の奉読、つゞいて、東条首相の謹話があつた。涙が流れた。言葉のいらない時が来た。必要ならば、僕の命も捧げねばならぬ。一兵たりとも、敵をわが国土に入れてはならぬ。
 ガランドウの店先へ戻ると、三十間ばかり向ふの大道に菓子の空箱を据ゑ、自分の庭のやうに大威張りで腰かけてゐる大男がゐる。ガランドウだ。オイデ/\をしてゐる。行つてみると、そのお菓子屋にラヂオがあつて、丁度、戦況ニュースが始まつてゐる。ハワイ奇襲作戦を始めて聞いたのが、その時であつた。当時のニュースは、主力艦二隻撃沈、又何隻だか大破せしめたと言ふのであるが、あなた方のことに就ては、まだ、一切、報道がなかつた。このやうなとき、躊躇なく万歳を絶叫することの出来ない日本人の性格に、いさゝか不自由を感じたのである。ガランドウはオイデ/\をしてわざわざ僕を呼び寄せたくせに、当の本人はニュースなど聞きもしなかつたやうな平然たる様子である。菓子屋の親爺に何か冗談を話しかけ、それから、そろそろ二の宮へ行くべいか、魚屋へ電話かけておいたで、と言つた。
 バスは東海道を走る。松並木に駐在の巡査が出てゐた外には、まつたく普段に変らない東海道であつた。相模湾は沖一面に白牙を騒がせ、天気晴朗なれども波高し、である。だから、この日は漁ができず、国府津にも、二の宮にも、地の魚はなかつた。国府津では、兵隊を満載した軍用列車が西へ向つて通過した。
 国府津でバスを乗換へて、二の宮へ行く。途中で降りて、禅宗の寺へ行つた。ガランドウの縁《ゆか》りの人の墓があつて、命日だか何かなのである。寺の和尚はガランドウの友人ださうだ。ガランドウは本堂の戸をあけて、近頃酒はないかね、と、奇妙な所で奇妙なことを大きな声で訊ねてゐる。本堂の前に四五尺もある仙人掌《さぼてん》があつた。墓地へ行く。徳川時代の小型の墓がいつぱい。ガランドウの縁りの墓に真新しい草花が飾られてゐる。そこにも古い墓があつた。ガランドウは墓の周りのゴミ箱を蹴とばしたり、踏みにぢつたりしてゐたが、合掌などはしなかつた。てんで頭を下げなかつたのである。
 ガランドウは足が速い。墓地の裏を通りぬけて、東海道線へでる。今に面白いものが有るだよ、と振向いて言ふ。二の宮では複々線の拡張工事中で、沿道に当つてゐたさる寺の墓地が買収され、丁度、墓地の移転中なのである。ガランドウはそこが目的であつたのだ。
 成程、墓地は八方に発掘されてゐた。土と土の山の間に香煙がゆれ、数十人が捻鉢巻で祖先の墓に鍬をふるつてゐる。一丈近くも掘りさげて、やうやく骨に突き当つたゞよ、と汗を拭いてゐる一組もある。この近郷は最近まで土葬の習慣であつたから、新仏の発掘に困《こう》じ果てゝゐる人々もあつた。
 ガランドウは骨の発掘には見向きもしなかつた。掘返された土の山を手で分けながら、頻りに何か破片のやうなものを探し集めてゐる。こゝは土器のでる場所だで、昔から見当つけてゐたゞがよ、丁度、墓地の移転ときいたでな。ガランドウは僕を振仰いで言ふ。
「これは石器だ」
 土から出た三寸ぐらゐの細長い石を、ガランドウは足で蹴つた。やがて、破片を集めると、やゝ完全な土瓶様のものができた。壺とも違ふ。土瓶様の口がある。かなり複雑な縄文が刻まれてゐた。然し、目的の違ふ発掘の鍬で突きくづされてゐるから、こまかな破片となり、四方に散乱し、こくめいに探しても、とても完全な形にはならない。
 捻鉢巻の人達がみんなガランドウのまはりに集つて来た。
「俺が掘つたゞけんどよ。知らないだで、鍬で割りもしたしよ、投げちらかしたゞよ。方々に破片があるべい。無学は仕方がないだよ。なあ」
 と、鼻ひげの親爺が破片をなでまはして残念がつてゐる。
「三四尺ぐらゐの下から出たべい」
「さう/\。四尺ぐらゐの所よ」
「今度あつたらよ。手で丁寧に掘りだすだよ」
 ガランドウはかう言ひ残して、僕達は墓地をでた。ガランドウは土器の発掘が好きなのである。時々、鍬をかついで、見当をつけた丘へ発掘にでかける。ガランドー・コレクションと称する自家発掘のいくつかの土器を蔵してゐる。尤も、コレクションを称する程のものではない。小田原界隈の海にひらけた山地には原住民の遺跡が多いのである。
 二の宮の魚市場には二間ぐらゐの鱶が一匹あがつてゐた。目的の魚屋へついたが、地の魚は、遂に、一匹もなかつた。日が悪いだ。こんな日に魚さがす奴もないだよ、と魚屋の親爺は耳のあたりをボリ/\掻いてゐたが、然し、鮪をとつておいてくれた。鮪一種類しかなかつたのである。
 魚屋の親爺は労務者のみに特配の焼酒をだして、みんな僕達に飲ませた。サイダーで割つて飲むと、焼酒も乙なものである。ガランドウから伝授を受けた飲み方のひとつだ。そのとき、丁度、四時半であつた。太陽が赤々と沈もうとし、魚屋の店頭は夕餉の買出しで、人の出入が忙しい。異様な二人づれが店先でサイダーに酔つ払つて鮪の刺身を食つてゐるから、驚いて顔をそむける奥さんもゐる。
 必ず、空襲があると思つた。敵は世界に誇る大型飛行機の生産国である。四方に基地も持つてゐる。ハワイをやられて、引込んでゐる筈はない。多分、敵機の編隊は、今、太平洋上を飛んでゐる。果して東京へ帰ることができるであらうか。汽車はどの鉄橋のあたりで不通になるであらうか。そのときは、鮪を噛りながら歩くまでだ、と考へてゐた。ナッパ服の少年工夫が街燈の電球を取り外してゐる。ガランドウはどこからか一束の葱の包みを持つてきて、刺身にして残つた奴はネギマにするがいゝだ、と言つた。丁度、夜が落ちきつた頃、二の宮のプラットフォームでガランドウに別れた。僕は焼酒に酔つてゐた。

 十二月八日午後四時三十一分。僕が二の宮の魚屋で焼酒を飲んでゐたとき、それが丁度、ハワイ時間月の出二分、午後九時一分であつた。あなた方の幾たりかは、白昼のうちは湾内にひそみ、冷静に日没を待つてゐた。遂に、夜に入り、月がでた。あなた方は最後の攻撃を敢行する。アリゾナ型戦艦は大爆発を起し、火焔は天に沖《ちゅう》して、灼熱した鉄片は空中高く飛散したが、須臾《しゅゆ》にして火焔消滅、これと同時に、敵は空襲と誤認して盲滅法の対空射撃を始めてゐた。遠く港外にゐた友軍が、これを認めたのである。
 日本時間午後六時十一分、あなた方の幾たりかは、まだ生きてゐた。あなた方の一艇から、その時間に、襲撃成功の無電があつたのである。午後七時十四分、放送途絶。あなた方は遂に一艇も帰らなかつた。帰るべき筈がなかつたのだ。
 十二月十日には、プリンス・オブ・ウェールスとレパルスが撃沈された。この襲撃を終へた海軍機が戻つて来たとき、同じ飛行場を使用してゐた陸軍航空隊の人達は我を忘れて着陸した飛行機めがけて殺到してゐた。プロペラの止つた飛行機から降りて来たのは、いづれも、まだうら若い海鷲であつた。降りるやいなや、いづれも言ひ合したやうに、愛機を眺めながらその周囲をぐるりと一周し、機首へ戻つてくると、愛機の前へドッカと胡坐《あぐら》を組んでしまつた。眼を軽くとぢ、胸をグッと張つて、大きく呼吸をしたが、たゞ一言「疲れた」と言つたさうだ。これは一陸軍飛行准尉の目撃談であつた。必死の任務をつくした人は、身心ともに磨りきれるほど疲労はするが、感動の余裕すらもないのであらう。
 話はすこし飛ぶけれども、巴里・東京間百時間飛行でジャビーが最初に失敗したあと、これも日本まで辿りつきながら、土佐の海岸へ不時着して恨みを呑んだ二人組があつた。僕はもう名前を忘れてしまつたけれども、バルザックに良く似た顔の精力的なふとつた男で、バルザックと同じやうに珈琲が大好物で、飛行中も珈琲ばかりガブ/\呑んでゐたといふ人物である。フランスの海岸は大体に飛行機が着陸できるほど土質が堅いものだから、日本の海岸も同じやうに考へて、砂浜へ着陸し、海中に逆立ちしてしまつたのである。このとき近くにゐた一人の漁師が先づまつさきに駈けつけた。逆立ちした飛行機からは大きな異国の男が一人だけ這ひだして来て、手をうしろに組み、海岸を十歩ばかり歩いて行つては、又、戻つてゐる。漁師の近づいたことも気付かぬ態で、同じ所をたゞ行つたり戻つたりしてゐるのである。漁師は言葉が通じないので、一本と二本の指をだして見せて、一人か二人かといふことを訊いた。すると異国の男もその意味を解して、二本の指を示して答へた。漁師は驚いて逆立ちの飛行機に乗込み、傷ついた機関士を助け出して来たのであつた。
 この飛行家も死の危険を冒して、たゞ東京をめざして我無者羅に飛んで来た。百時間に近い時間、満足に睡眠もとつてゐない。たゞ、東京。それが全てゞあつたのだ。普通の不時着の飛行機なら、先づ飛び降りて、住民の姿を認めれば、それに向つて駈けだすのが当然である。ところが彼は漁師の近づいたことも気付かなかつた。救ひを求めることも念頭になかつた。生死を共にした友人のことすら忘れてゐた。さうして、たゞ、同じ海辺を行つたり戻つたりしてゐたのである。
 生命を賭した一念が虚しく挫折したとき、この激しさが当然だと思はずにはゐられない。これが仕事に生命を打込んだときの姿なのである。非情である。たゞ、激しい。落胆とか悲しさを、その本来の表情で表現できるほど呑気なものは微塵もない。畳の上の甘さはかういふ際には有り得ないのだ。
 潜水艦が敵艦を発見して魚雷を発射したときは、敵艦の最も危険な時でもあるが、同時に、潜水艦自身も最も危険にさらされてゐる時である。けれども、潜水艦乗りは、自分の発射した魚雷の結果を一秒でも長く確めたいといふ欲望に襲はれる。魂のこもつた魚雷である。魂が今敵艦に走つてゐる。彼等は耳をすます。全てが耳である。爆音。見事命中した。すると、より深い沈黙のみが暫く彼等を支配する。言葉も表情もないさうである。
 あなた方も亦、そのやうであつたと僕は思ふ。爆発の轟音が湾内にとゞろき、灼熱の鉄片が空中高く飛散した。然し、須臾にして火焔消滅、すでに敵艦の姿は水中に没してゐる。あなた方は、ただ、無言。然し、それも長くはない。
 真珠湾内にひそんでゐた長い一日。遠足がどうやら終つた。愈々あなた方は遠足から帰るのである。死へ向つて帰るのだ。思ひ残すことはない。あなた方にとつては、本当に、ただ遠足の帰りであつた。

 十二月八日に、覚悟してゐた空襲はなかつた。
 三月四日の夜になつて、警戒警報が発令された。その時もその前日の同人会から飲み始めて、僕はいくらか酔つてゐた。大井広介、三雲祥之助の三人で浅草を歩き、金龍館へ這入らうかなどゝその入口で相談してゐるところであつた。浅草の灯が消え、切符売場の窓口からも光が消えた。ぶら/\歩きだすと、飛行機の音がきこえる。敵機かね? 立止つて空を仰いだ。すると街角にでゝ話してゐた三人のコックらしい人達が振向いて
「いや、あれはうちのモーターの音ですよ。あいつ、止め
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