てしまはうぢやないか」
コック達は相談を始めてゐる。馬鹿々々しいほど明るい満月が上りかけてゐた。おあつらへむきの空襲日和である。愈々今夜は御入来かと覚悟をきめた。田島町を歩いてゐると、暗い道で、自転車と通行人が衝突して、自転車の大きな荷物が跳ねころがり、二人は掴み合ひの喧嘩を始めた。三雲画伯は喧嘩の当人と同じぐらゐいきりたつて、分けて這入つて、おい、かういふ際に喧嘩するとは何事だ、荒々しく息を吐いて叱りとばしてゐる。
翌朝、最初の空襲警報が発せられたが、やつぱり敵機は現れなかつた。あなた方の武勲が公表されたのは、空襲警報の翌日、午後三時であつた。僕は七時のラヂオでそれをきいた。
裸一貫巨万の富を築いた富豪が死んで、自分の持山の赤石岳のお花畑で白骨をまきちらしてくれと遺言した。八十を越した老翁であつた。毎日鰻を食べてゐたといふが、然し、もう、衒気などはなかつた筈だ。まるで自分の生涯を常に切りひらいてきたやうな、自信満々たる人であつたに相違ない。この遺言がどうして実現されなかつたのだか分らないが、又、当人も、多分遺言の実現などに強いて執着は持たなかつた様子である。こんな遺言を残す程の人だから、てんで死後に執着はなかつたのだ。お花畑で風のまに/\吹きちらされる白骨に就て考へ、これは却々《なかなか》小綺麗で、この世から姿を消すにしてはサッパリしてゐる、と考へる。この人は遺言を書き、生きてゐる暫しの期間、思ひつきに満足を覚えるだけで充分だつた筈である。実際死に、それから先のことなどは問題ではない自信満々たる生涯であつた。
あなた方はまだ三十に充たない若さであつたが、やつぱり、自信満々たる一生だつた。あなた方は、散つて真珠の玉と砕けんと歌つてゐるが、お花畑の白骨と違つて、実際、真珠の玉と砕けることが目に見えてゐるあなた方であつた。老翁は、自らの白骨をお花畑でまきちらすわけに行かなかつたが、あなた方は、自分の手で、真珠の玉と砕けることが予定された道であつた。さうして、あなた方の骨肉は粉となり、真珠湾海底に散つた筈だ。あなた方は満足であらうと思ふ。然し、老翁は、実現されなかつた死後に就て、お花畑にまきちらされた白骨に就て、時に詩的な愛情を覚えた幸福な時間があつた筈だが、あなた方は、汗じみた作業服で毎日毎晩鋼鉄の艇内にがんばり通して、真珠湾海底を散る肉片などに就ては、あまり心
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