私の主人、とてもやさしい、物分りのいゝ人だったわ」
「洋裁の日は何曜日なんだい」
「月水金だけど、もう行かないのよ。以前は月金で水はなかったけどね」
「やれやれ、月水金は洋裁の課長さん、土日は部長さん、火木は伊東さん、それじゃお前、七日のうち、七日ながらノべツじゃないか。お前の御主人は何かえ、ノベツ女房が課長さんや部長さんや伊東さんとアイビキしても怒らないような人だったかい」
キヨ子は少し顔色を失ったが、すぐ又、なんでもない顔色になった。
「未亡人なんて、色々噂をたてられて、つまらないわ。自分がモノにしようと思ってモノにならないと、復讐から、言いふらすのよ」
「モノにした人が言ってることだから、間違いなしさ」
「じゃア、もう帰るわ」
と、キヨ子は立ちかけるようなことをして、又、のみもしないお茶をいれた。
「伊東さんはヤキモチ焼だから、疑ぐり深いのよ。男の人はオメカケやなんか、あるでしょう。私、マジメな方よ。でも、時々は仕方がないわ。そうかなア、男の人って、みんな、そんな風に考えるかしら」
意味のハッキリしないことを言って、クビをかしげる。
「おい、ふざけちゃ、いけないよ。伊東さんの文句じゃないが、人をなめるもんじゃないぜ。こっちが結婚しましょうと云えば、こうして時々遊びましょうとくる。それは、そうさ。月水金は洋裁の課長さん、土日は部長さん、火木は伊東さん、それじゃア結婚できねえやな。部長さんと洋裁の課長さんは大阪と北海道へ島流しになる、伊東さんにはふられる、そこでコチトラの方へ風向きが変ってきやがっても、そうはいかねえよ。へん、男なんて、まったく、みんな、そんなものさ。コチトラも伊東さんも、おんなじ考えなんだから、今更人をコバカにして結婚しようなんて言ったって、クソ、ふざけやがると、ドテッ腹を蹴破って、肋骨をかきわけて、ハラワタをつかみだしてくれるぞ」
ビヤダル型のオジサンはめったに怒らぬものであるが、いざ怒ると、汗が流れて、湯気が立つ、ユデタコのようにいきりたって壮観である。
キヨ子もちょッと気まずい顔だ。
「そうお」
そして、
「じゃア、帰るわ」
立って、草履をはいた。
「じゃア、又、ね」
無邪気なもの、ニコニコしていた。
「又、くるわ」
そして、帰ってしまった。
へん、オタフクのバケ猫め、二度ときやがると、承知しねえぞ、という奴を、幸吉は呑みこまざるを得なかった。
又、きたら、今度は許してやってもいゝ、という考えが、そのとき閃いた。しかし、もう来やしないだろう。彼はひどくガッカリした。
色々のことが思いだされた。
可愛いゝ女じゃないか。悪気がない。皮肉ってもカンづかないところは、頭がにぶいようでもあるが、無邪気なものだ。みんな自然に白状している。けれども、あそこまでダラシなく情慾にもろくては、たよりない。飢えれば何でも、というサモしさである。けれども、底をわってみれば、人はみんな、そうじゃないか。吉や寅やドン八の女房だって、心の底はおんなじことだ。オレ自身だって、それだけのものだ。さすれば、何を怒ったんだか、見当がつかねえようなものじゃないか、と幸吉は悲しい気持になってきた。
キヨ子はそれっきり来なかった。
幸吉は叔母さんに頼んでと考え耽ったこともあったが、それじゃア益々なめやがるだろうなどと意地をたてゝいるうち、月日が流れて、気持もすっかり落ちついていた。
ある日、何かの探し物の折に火鉢のヒキダシから、例の手紙がでてきたので、何かと思い出も珍しく、読んでみると、一通の親類の女からの手紙は、この女も未亡人であるらしく又、かなり年長の様子で、同じ境遇にいたわりを寄せ、自分の日頃の日課を語って、朝は読経の三十分が落付いてたのしく、昼下りの香をたいて琴をかなでるのも心静かなものであるが、畑を耕して物の育つのを一日一日のたよりにするのが何よりで、
又時折は粋筋のドドイツなどを自作し、節面白く唄いはやし候も一興にて、そこもと様にも進め参らせ候
と書いてある。
珍妙な未亡人があるものだ。
すると、ある日、叔母さんがきて、
「あの人はお寺の坊さんと一緒になったよ。お寺の門に洋裁の看板もぶらさげたよ。シッカリ者さ」
「洋裁なんて、腕がねえ筈だがな」
「ミシンが一台ありゃ、誰にでも、出来らあね。お前みたいな野郎でも庖丁がありゃ料理屋ができるじゃないか。ちかごろはお経を稽古してらアね。そのうち坊主の資格をとって、おとむらいに出てくるそうだよ。お前が死ぬころは、あの人のお経が間に合うかも知れないから、頼んでおいてやるよ」
幸吉はなんとなく心の落付いた気持になった。
どうせナマグサ坊主にきまっているが、それはそれでいゝじゃないか。してみると、なんだな、オレも坊主も変りがねえようなものだ。あのアマにかゝ
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