の何課という部屋だから、そこへ行きなさい、という。鉄筋コンクリーという奴は下駄バキで歩いていゝのやら、会社の廊下というものを勝手にノソノソ歩いていゝのやら、てんでツキアイがないからワケが分らない始末で、ようやく三階の何課という奴をつきとめて、恐る恐るドアをあけてみると、すぐ目につくところに女の子が五六人並んでいて、その中にキヨ子がいる。
「ヘエ、モシモシ」
 と云って、キヨ子の姓をよぶと、顔をあげて彼を認めて、スックと立って廊下へでてきたが、
「ちょッと、待ってね。私、ちょうど、あなたのところへ遊びに行こうと考えていたところよ。先週も、一度行きかけたけど、雨が降ってきたでしょう。だから途中で戻ったわ。十分ぐらいで仕事がすむから、すぐ来るわ」
 と引っこんだ。
 よっぽどノンキな会社と見え、まだ三時半ごろだが、男も女もゾロゾロと方々のドアから現れて帰って行くのがある。
 まもなくキヨ子はイソイソとでてきて、
「私、今日、オヒルをたべなかったから、オナカがへったのよ」
「うちで御馳走こしらえてやるぜ」
 今日に限って珍客招待の用意はしてなかったが、商売柄、品物はそろっているから、忽ち支度はできあがる。
「会社にゴタゴタがあって、ちかごろみんな仕事に手がつかないのよ。私の部の部長と課長も大阪支店と札幌支店へ左センされるでしょう。私、もう、会社やめるかも知れないわ」
「やめたら、食うに困るだろう」
「あら」
 キヨ子はすり寄ってきて、幸吉の肩に断髪をもたせかけて、
「独身生活もノンビリと面白いでしょう。二号だの三号のところへ時々通うなんて、いゝわねえ。二号さんと三号さんと、どっちが可愛いゝの」
「同じようなものさ」
「でもよ、少しは違うでしょう。若い方? 年増の方? 私も若くなりたいわ。二十七八になりたいわね。そのころは、私たち幸福だったのよ。主人がとてもいゝ人だから。私、今日は、ねむいわ。すこし、ねむって、いゝでしょう。おフトンは、こゝね」
 とキヨ子はおフトンをひっぱりだす。まるでもう女房のように馴れ/\しい。
 幸吉は腹の中ではフンという顔をしていた。あさましいほど、たしなみがない。幸吉をなめきっている。幸吉は無学だが、男女の交りにも情趣がなければと思っているが、この女は、あんなことイヤだとか、主人に悪いとかと、そればかり言いながら、男と女の関係に就ては、アンナこと以外の一つの話題も持ち合せず、それ以外に関心がないのである。
「お前はなにかえ、死んだ亭主と幸福だったてえけど、どんな風に幸福だったんだ」
「毎日、幸福だったわ」
「毎日、なんだな、あんなこと、やってたというのだろう」
「そら、そうよ。毎日々々よ」
 幸吉は腹の中でゲタゲタ笑った。これで正体がわかったというものだ。彼はもうあんまり徹底的に女を軽蔑しきっているので、自分でも面喰ったほどであるが、同時に荒々しい情慾がわき起って、情念の英雄豪傑というような雄大な気持になった。
 そこで彼は征服にとりかゝる。侵略でもある。キヨ子の前夫を退治るという意気込みであった。
 自らも驚くほどの逞しい情慾であったが、キヨ子の情慾はさらに執拗であった。幸吉の胸の下につぶれたような断髪があって、さゝやきもとめ、うながしても、幸吉はもう徒らに蒸気のような息をふいて汗みどろに、うごめくばかり、全然だらしのないビヤダルであった。
「主人は病身だったのよ。だから、よく会社を休んだわ。けれども、あの方のエルネギーは別なのよ。病気で会社を休んでも、昼一日私をはなしたことがないのよ」
 幸吉は疲れきってかすんだ耳にキヨ子の声をきいた。
「主人はいろんな風に可愛がってくれたわ。あなたなんかと比較にならないうまさだったわ。あなたはダメね。それに、へたね。主人が生きて帰ってくれるといゝけれど」
 幸吉は腹を立てる元気もなかった。惨敗である。こんなミジメに打ちひしがれたことはなかった。
 女は彼にアイソづかしを言ってるのだから、もう二度と来ることはないだろう。まったく、こんな決定的なアイソづかしがあるものじゃない。ひどいアマだ。
 当節は女がこんな風になっているのかなと考える。パンパンはみんな素人の娘や人妻だというではないか。ひどい世の中になったものだ。
 然し、ふと、死んだ女房のことを考える。死んだ女房は汚なかった。女のような感じではなく、働く家の虫のようであった。そして一日働いていた。洗濯したり、米を炊いたり、菜ッパを切ったり、つくろい物をしたり。然し、その働く虫も、夫婦、男と女のつながりということになると、やっぱりアレ以外に何もなかったではないか。話題もなかった。情趣もなかった。どだい、女のようでなかった。
 してみると、こっちの方は女なんだな、と幸吉は考えた。
 どこの女房だって、女房と亭主は、みんな、
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