うなものでもあるが。
ある夜、私は酔ひ痴れてゐた。
「チエホフの桜の園は、結局に於て尨大な詩ではないか。いはゆる詩は人間のアニマルを描いてゐない。アニマルを描きつくして顕れた大いなる詩の前では、いはゆる詩は無意味ではないか」
菱山はその夜疲れきつてゐた。私の惨酷な言葉に彼は泣きさうであつた。
翌《あく》る日、私は彼の手紙を受け取つた。
「友よ、詩の終るところに小説がある。併し、小説の終るところにも詩があるのだ」
彼の言葉は正しい。彼の詩は絶対の極点を貫き走つてゐるのだから。そして私は彼の詩をこよなきものに愛誦してゐる。わが友は日本の生んだ最も偉大な詩人の一人となるであらう。このことは、もはや私の確信となつた。
菱山は成人し、そしてヴァレリイを征服した。彼は今度、ヴァレリイの「海辺の墓」を出版したが、此れはいはば、至高な少年の成人記念碑となるのであらう。そして、いま菱山はヴァレリイを海辺の墓へ埋葬してしまつた。
この稿を書いてゐる明日、その勤め先の税関の帰路に、菱山は僕の家へ田園の黄昏を仰ぎにくるのだといふ。この詩人は、僕の住む辺鄙な村の大きな夕暮が好きなのだ。希はくは、純情
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