、中島健蔵、嘉村礒多、ほかに誰がいたッけな、そして私などが同人であった。表紙は青山二郎であった。そのころ春陽堂の近所にウィンザアというバアができて、同人のたまり場であった。女学校をでたての素人娘が三四人、このウィンザアではじめて女給という商売について我々にビールをついでくれたワケだが、それが今では初老に近い大姐さんになって、今も銀座裏のプーサンだのブーケというところでメートルをあげてらア。ムッちゃんなどという子がそれさ。
 小林さんと私とのツキアイと云えば、そういうところで、酔っぱらッて、からんだり、からまれたりしていただけのことだ。特別のツキアイというものはなかった。いくらか印象に残っているのは、ウィンザアの横の道で小林さんと並んで立小便していて、小林さんだけ巡査につかまった。巡査が、お前は何をしていた、という。住所姓名を名のれ、という。何を云われても彼は答えない。そこで私が、この男は拙者の友達で二人は目下並んで立小便をしていたのだ、というと巡査はそうかと云って立ち去った。彼の頭髪ボウボウたる和服姿が左翼とまちがわれたのだろう。
 また、私が越後の親戚へ法要に赴くとき、上野駅で彼に会
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