しんでゐたが、それから思ひ出したやうに歪んだ笑ひを泛べて、崩れた着物をつくろひもせずにいきなり懐手をして、ぶらりぶらり帰つていつた。
あの手紙から三日目の夕暮れに小笠原は麻油を訪ねてきた。翌日別れると、別れぎはにも次の日を約束したのだが、併し麻油は尚も早速用箋をとりあげて前と大同小異の手紙を書き、にやにやしながら投函に行つた。約束の日に小笠原は来た。こんなことを数回繰返した。憂鬱な顔をそれでも仕方なしに笑はせるやうにして近づいてくる小笠原を見ると、麻油はくすぐつたい思ひがしたが、誰にするよりも大袈裟な明るさではしやぎながら彼を迎へた。どういふものか、小笠原の物々しい屈託顔を前にして独りで笑つたりお喋りしてゐる最中に、麻油は急に悪戯つぽい顔をして舌でも出してみたいやうな気持になつてしまふのだが、別にそれを隠す気持にもならないので遂にさうしてしまふと、併し小笠原は別段気にかけずに矢張り憂鬱な顔をして、時々自分の方でも笑はうとしたり喋らうとしたり努力してゐる。そんな時、麻油はふいに孤踏夫人の神経質な顔を思ひ出したりした。小笠原の物々しい深刻面の真正面からぶつかつていつて、ほかに格巧がつかないので是も苛々しながら同じやうな物々しい顔を向け合せてゐるに相違ない孤踏夫人の様子は見ものだらうと思つた。麻油は時々ふきだしたくなつて小笠原に頬ずりした。
小笠原は急に東京を去つた。小笠原は親しさに倦み疲れた。親しさのもつ複雑な関心に腐敗した。親愛な人々を見暮らす根気が尽きて、限りなく懐しみ乍ら訣別を急がうとする広々とした傷心を抱き、それを慈しんで汽車に乗つた。知る友のない海浜の村落へ来て、海を眺めた時、ほつとした。何物にも慰まなかつた小さな心が、縹渺《ひょうびょう》とした海の単調へ溶けるやうに同化してしまふのを感じて、爽やかな眩暈を覚えた。長い疲れの底に密封されてきて、もう悪臭を放ちさうな澱み腐れた涙が、やうやくたらたらと頬に伝ふのを感じた。毎日磯に寝て、飽くなく貝殻を玩んだり無心に砂を握つてゐたりして、甘い感傷に安らかな憩ひを覚えてゐた。
ある雨の昼、孤踏夫人へ海の便りを書いた。静かに雨の降る海のやうなひたすらな懐しさで、もし気が向いたら遊びに来てと書き、それを投函して、無論夫人は来るに違ひないことを知つた。又、長い疲れに似た、光の射し込まない部屋のやうな退屈が、雨の降る海から
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