しかった。一行も、書けなかった。
 闘い破れたと悟ったのは、一月の二十五日頃であったかも知れない。このまゝの肉体的な条件では、一行といえども書きがたいことを悟ったのである。洟汁は、もう、普通ではない。私は、ようやく、これは蓄膿症だと思った。私の全身は、象皮病のように荒れて、堪えられぬかゆさであった。
 私は覚醒剤をやめた。書くことを、やめたのだ。書く意志をすてたのである。当分、朝も、昼も、夜も、たゞ、ねむろう。長いこと、あるいは三年間ぐらい、つゞいて睡眠が不充分であった。冬眠。左様、蛇の冬ごもりのように、しばらく冬眠しようと思った。
 そして、それからのことは、もはや明滅的にしか、覚えていないのである。通算して、一日に、約五十錠ほどずつ、アドルムをのんだ。私は一日ねむったつもりでいたのに、一週間すぎていたりした。私はそれを殆ど信じることが出来なかった。
 急速に、幻聴がはげしくなった。幻視は、まだ、現れなかった。私は昏酔しながら、昏酔を自覚することが出来なかった。いつも、夢を見ていたが、それを夢として自覚できずに、行為としてしか自覚することが出来なかった。私は、小説の用件で、雑誌社の人
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