した。表面の状況はそうであるが、今にして思えば、精神病的徴候が、すでにハッキリ現れていたのである。つまり、厭人癖である。そして、一種の被害妄想である。ちょッとした思考力の集中持続にすら苦心サンタンしつゝある自分に対して、営利的なつまらぬ仕事を持ちかけてくる人間への反感、病的な反感であった。私はその時以来、注文を拒絶したのみでなく、一切の面会も拒絶した。そして、軽い幻聴が現れはじめたのは、その頃からであった。それは、極めて軽い幻聴で、あるリズミカルな音、単調な、たゞ、遠近のある音の反復、それだけであった。又、いちじるしく視力が衰えはじめたが、これは今もそうであり、多分病気に関係なく、これは老眼のせいだろうと思われる。それにしても、視力が日によって乱れ方が異り、ある時は眼鏡をはずすことによって、ある時は眼鏡をかけることによって、文字を読むことができるという乱脈さには、日々不快な思いを重ねた。
 私は一切の面会を拒絶したが、居留守を使う不快に堪えがたくて、できるだけ、旅行にでた。旅にでれば、気分が変って、仕事ができるかも知れない、という希望の方が、より大きかったが、まもなく、その希望の虚しさは明白となり、旅にでる時、その虚しい希望をもつことの負担の方が大きくなった。
 私は旅に仕事にでる便利のために、ノートブックを用いはじめた。原稿紙はかさばって重いからだが、ノートブックという新しい方法によって、思いがけなく仕事ができるかも知れないという淡い希望もあった。私は二十一の年にひどい神経衰弱になり、歩行もサンマンとし、耳がきこえなくなった。それは、私に常に妄想が起るために、耳がきこえなくなるのであったが、要するに妄想を抑えることに成功すれば、必ず病気を治すことができるという見込みによって、目覚めているあらゆる時間、語学に没頭することにした。つまり、辞書をひきつゞけるのだ。私は、フランス語、サンスクリット、パーリ語、ドイツ語を一時に習い、たゞ、むやみに、辞書をひく機械のように、根かぎり、休むことなく、辞書をひくことに没頭した。そのほかに、何を考えてもいけないのだ。考えてはならぬ。考えてはならぬ。然し、こうして明滅する妄想と闘いつゝ辞書をひいても、凡そ平時の十分の一と能率はあがらぬものだが、ともかく、この方法によって、妄想をくいとめ、一年半ほどの後には、以前の自分に戻ることができた
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