当の酒量である。私はウイスキーを一本ポケットへ入れて東京を出発した。升田と私がこれをあけて、升田はそれから、かなり日本酒も呷《あお》ったようだ。
 私は酔っ払うと、アジル名人なのである。口論させたり、仲直りさせたり、そういうことが名人なのである。新東海の荒武者もそこまでは御存知ないから、テーブルを三つ離して安心していらっしゃる。ダメである。
 東京の将棋指しは升田は弱い弱い云いよるけど、勝ってるやないか、などゝ微酔のうちは私にブツブツ云っていたが、そのうちに泥酔すると、名手が悪手になる、なに阿呆云うとる、阿呆云うて将棋させへん、木村など、なんぼでも負かしてやる、だんだん勇ましくなってきた。木村前名人、酒量は少いが、これも酔ってる。名題の負けぎらい、黙してあるべき、君はまだ若いよ、君より弱くなるほど、まだモーロクはしないよ。俺が強い。ナニ、お前なんか強いもんか。とうとう、離れた席で各々立膝となって、人々の頭越しに怒鳴り合っている。
 オレが強い、お前なんか、両々叫び合ったところで、私がなんなくまとめあげて、宿屋へもどる。それから碁を打つ。木村前名人が碁の初段で、升田八段が、あいにくなことに、ちょうどそれと同じぐらいの力量なのである。
 そこで又、碁石を握って、オレが強い、お前なんか、すごい見幕でハッシ、ハッシ、升田白番で十目ほど勝った。
 然し、これがそもそも升田失敗のもと。私や升田のような酒飲みは、酔っ払ってすぐ眠ると熟睡できるが、酔いがさめかゝるまで起きていると、さア、ねむれなくなる。私は宿へ戻る、すぐ寝ようとすると、まア碁を一局と、木村升田両氏と一局ずつ、それから、両氏のケンカ対局を見物して、酔いがさめ、宿に酒がないから、とうとう眠れなくなってしまった。升田八段が又、殆ど眠れなかったらしい。
 翌日の対局は結局木村が勝った。
 私が観戦していたところで、将棋はてんで分らない。見ているのは御両名の心理だけだが、将棋そのものが分らないのだから、それに伴う微細な心理はやっぱり分らない。きわめて大づかみの分り方しかできないのである。
 然し、この将棋に関する限り、升田は心構えに於て、すでに敗れていた。木村何者ぞ、なんべんでも負かしてやる、軽く相手をのみ、なめてかゝっていたから、軽率で、将棋そのものがハッタリであった。
 急戦か、持久戦か、という岐《わか》れ目のところで、
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