がほかに有るはづはないのだが、そこの何頁だけを手垢で黒く汚れてしまふほど読んでゐるので、をかしかつた。彼は孤独で、さびしいに相違ない。彼の切なさは、私にも同感できるものであつた。それは去年の秋であつたが、呉清源は神様からはなれるかも知れない、はなれたい気持がうごいてゐる、といふことを新聞の人からきいた。その時から半年あまりすぎてゐた。
座談会で、私はつとめて神様のことを訊かうとしたが、彼はヌラリクラリと体をかはしてしか語らうとしなかつた。なぜ神様とはなれたか、どういふところが不満であつたか、棄教した今日ハッキリ答へるかも知れないと思つてゐたが、神様そのものは実在します、といふやうな返答の仕方で、つとめて要領を得られないやうな話しぶりであつた。
いづれは又、別の神様へ辿るであらう。
要領を得ない座談会で、面白をかしくもなく、後味がわるかつた。告白狂じみた我々文士とちがつて、呉八段がつとめて傷口にふれたくない気持はわかるのであるが、もつと気楽に、言ひきれたら、彼の大成のために却つて良からう、と私には思はれた。
座談会が終つて帰らうとすると、廊下に女中が待つてゐて、読売の文化部長の原
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