るだけ。あたりは静かになつたが、フラッシュの閃光と、入乱れる跫音《あしおと》が八方を駈けくるつた慌しさは、それから十分すぎた後も、私の気持すらも落付かせようとはしない。すでに、十時、そのまゝ対局は始つたけれども、まことにケヂメがつかない。
 木村一分考へて二六歩、塚田すぐ八四歩、二五歩、八五歩。ここまできて、五手めに、木村の長考がはじまつた。
 対局といへば、しよッちゆうタバコをふかしてゐるやうなものだが、十分すぎても、どちらも、まだタバコをとりださない。先づ木村がタバコをとりだす。つられたやうに塚田もタバコをとりだす。木村、キョーソクにもたれる。塚田の顔はマッカである。日やけかしらと私は思つたが、塚田は酒をひッかけたらしいぜ、と誰かゞ云つた。あるひは、さうかも知れない。万全の用意をつくして対局場の下見までした木村ですら、なんとなくソワソワと落付きがない。塚田には追はれる不安があるし、心構えの累積からきた圧迫感があるはづだ。それをハグラカスために、あるひは酒といふ窮余の手を用ひたことも、有り得ないことではないのである。
「ほんとに飲んだの?」
 と、私がきいたら、その人は慌てゝ、
「い
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