いやうなドロンとした顔をしてゐたが、私が升田のことを云ふと、
「僕は升田は怖くないです。今まで升田に負けたことはありません」
と、きびしく云ひ放つた。彼がこんなに力のこもつた云ひ方をしたのは珍しい。それはたしかに升田は怖くない、といふハッキリした気持があつてのやうであつた。
神がゝりの升田は、鋭い直観を重ねたアゲクに、いつの間にやら、自分を自分の縄によつていましめて、そのアゲクが、去年の塚田升田五番将棋で、敗れ去つたのであらう。その時から、彼は外面、益々塚田の棋風をしたひ、塚田強し、と云ひ、塚田を親友とよび、塚田と親友になつたと云ひふらしてゐるものゝやうである。
つまり、升田の心は、まだ自立してゐないのである。自分一人で立ちきるだけの自信がないのだ。彼が塚田強しと云ふのは、木村大山をめぐつてのことであり、木村大山を完全に否定するだけの自信の欠如からくるところである。彼が木村怖るゝに足らず、大山いまだ至らず、と云ひ放つ時、イヤ/\さうではない、といふ声を最も敏感に聴いてゐるのは彼であつた。彼は不当な気負ひによつて心ならずも怖るゝ者を怖れずと云ひ、その犯罪感を自分一人で支へきれずに、
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