つた方がうれしいんぢやないかね」
「さうでもないです。別に僕には、どつちがどうといふ区別はないです」
然し、かういふ問題について、棋士の表現は大方当てにならないと見なければならない。みんな本心を隠し、時にはアベコベに表現する。大山はいつも平静で、敵をつくらぬ男であるから、なほさらである。放送で対談したとき、塚田の五二桂は時間ぎれを狙つた手でせう、と私がきいたら、イヤ、さうでもないんです、と彼は言葉を濁した。ところが塚田自身は、木村、金子との放送で、自らハッキリと、あれは木村の時間ぎれを狙つた手であつたと言つてゐるのである。大山は、本当のことを言ふことなどは念頭にないのである。それを当然だと思つてゐる。そして、私との対談に前もつて打合せなかつたことを後悔し、対談の構成とか、演出の効果を主として考へてゐるのである。この図太さは、棋士多しといへども、大山をもつて随一とする。頭抜けたアクターであり、その底にひそむ勝負師の根性ははかり知れないものがあるやうである。
人づてにきいたところによると、升田は親友が名人位を失つたので、その日一日ヤケ酒をのんだといふ。もとよりウソッパチであらう。彼ぐらゐ木村の勝利に亢奮し、来年の挑戦を夢みて、すでに心も浮き立つ思ひの者はゐない筈なのであるから。その点、升田もアクターであるが、ちよッとアチャラカのアクターであり、大山は本舞台のアクターといふ感じであつた。
木村と塚田が肩を並べて私たちの控室へやつてきた。木村の顔は明るかつたが、わざと明るさを隠すやうに、人々の背の後へ隠れ、壁にもたれて坐つた。塚田は入口へペタンと坐つた。
「僕の負け方は、見苦しくなかつたでせう。僕は見苦しくなかつたと思つてるんだけど」
塚田は人々を見廻して、きいた。ちよッと敵意のこもつてゐる鋭さであつた。
「見苦しくなかつたとも。みんな、感心してまつせ。実に立派な態度やつた」
と、誰かゞ云つた。私が放送室でチラときいた時も、塚田は、負けた態度が見苦しくなかつたらうときいてをり、又、参観の人々は、名人位を失つた塚田の態度がいつもと変らず、実に立派だといふことを口々に言ひ合つてゐた。
まだ二人が対局中の控室でも、誰かゞ云つてゐた。木村は勝つた時のこと、負けた時のことを考へ、負けても取り乱さないやうに、充分心をねり、覚悟をかためてきてゐるさうだ、といふことを。
負けた時に見苦しい振舞ひのないやうに。まことに悲しい思ひであるが、彼らがそこまで心を配らなければならないのも、心構えとしては当然かも知れない。
私は然し思ふのである。ムダなことだ、と。勝つか、負けるか、試合の技術に全力をつくすだけでタクサンぢやないか。ほかは余計なことである。全力をつくし、負けて、泣きくづれたつて、いゝぢやないか。名人ともあらうものが、負けて、泣いて、とりみだして、といふ、さういふ批評の在り方が間違つてゐるのである。
私は先日、刑務所からでゝゐる雑誌をもらつた。その中に、死刑囚についての座談会があり、刑務所長やら教誨師やらが死刑囚を語つてゐるのだが、死につくときの死刑囚の態度が立派だといふことを述べて、死に方が立派で、とりみだしたところがないために、その人間が魂の救はれた人であり、まるで英雄のやうにさへ語られてゐるのであつた。それに対して、小川といふ人が、たつた一人、かう云つてゐる。
「さうかなア。立派に死ぬといふことが、そんなに偉いことなのかなア」
この人のつゝましい抗議は、この座談会では一顧も与へられてゐないのである。名人戦の参会者も同じことだ。死に方、負け方が見苦しくないなどゝ、ひそかに感嘆をもらしてゐるのである。かういふバカバカしい人々にかこまれて、見苦しくない死に方、負け方などに執着してゐる塚田が、気の毒でもあつたが、私はバカバカしくて仕方がなかつた。
とりみだして、泣くがいゝぢやないか。変なところへ気を使はずに、あげて勝負に没入するがいゝぢやないか。そんなことよりも、将棋そのものの術をはなれて、相手の時間ぎれなどを狙ふ策戦の方がアサマシイぢやないか。私は、塚田は敗ける性格であつたと思ふ。はじめから圧倒されてをり、負けるべきことを感じてをり、はじめから小股すくひを狙つてをり、そして負ける者のあの気魄、負けボクサーのヤケクソのラッシュをやつたゞけの闘志であつたと思ふ。彼は対局のはじめからアガッてゐて、最後まで平静をとりもどしてゐなかつた。
誰かゞ木村に云つた。
「持ち時間を長くしなきや、いけませんね。名人戦に時間に追はれるなんて、ひどいですよ。せめて名人戦だけは」
と、月並な言葉であつた。なぜなら、誰しも云つてゐる言葉であるし、木村自身が、二年前、名人位を失つた時に、アア、時間に負けた、と叫んでゐることでもあるからである。
ところが
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