せん。七目なら、オレはいつでも大山にのる。どうだい。やらうぢやないか」
倉島君がひやかした。よし、やらう、といふことになつて、安永君も真剣である。よッぽど、口惜しかつたらしい。白の方が黒の何倍も時間をかけて考へこんでゐる。かなり良い碁に持つて行つたが、やつぱり白がつぶれてしまつた。
私は大山八段を見たのは、この日が始めてゞある。原田八段も、さうだ。将棋の力といふものは私には分る筈はないのだが、勝負師といふ点では、大山はちよッと頭抜けてゐるやうだ。
私は木村、升田とは碁を打つたことがある。どつちも力碁で、升田ときては、ひッかき廻すやうな碁であるから、まだ力の弱い大山は升田にひッかき廻されて負けるさうであるが、力が弱いのだから仕方がない。然し、持つてゐる力をどれだけ出してゐるかと云ふと、大山は十分に出しきつて、ほとんど余すところなく、升田は勇み肌でポカも打つ。
碁に於けるこの性格は、本職の将棋の場合も当てはまるに相違ない。大山にはハッタリめいたものがないのである。非常に平静で、それを若年からの修練で身につけたミガキがかゝつてゐるのである。兄弟子に升田のやうなガラッ八がゐて、頭ごなしにどやされつゞけて育つたのだから、平静な心を修得するのも自然で、温室育ちといふ生易しいものがないのである。勝負師の逞しさ、ネバリ強さは、升田の比ではないが、大山がこゝまで育つた功の一半は升田といふ柄の悪い兄弟子が存在したタマモノであつたかも知れない。これに比べると、東京方の原田八段は、棋理明※[#「皙」の「白」に代えて「日」、第3水準1−85−31]であるが、温室育ちの感多分で、勝負師の性根の坐りといふものが、なんとなく弱々しく見受けられた。
大山と私は、この対局がすんでから、NHKの依頼で、対談を放送した。私は将棋を知らないのだから、対談なんて云つたつて、専門家を相手に語るやうなことはない。アナウンサーが私に質問してくれゝば、それに応じて感想ぐらゐは語りませう、と引受けておいた。
イザ放送がはじまると、アナウンサーはひッこんで否応なしに対談となり、なんとなくオ茶は濁したけれども、まことにツマラナイ放送になつた。そのとき、大山八段が、いかにもションボリした顔で、私に向つて、
「坂口さん、打ち合はせておいて、やれば良かつたですね」
残念さうであつた。大山は、かういふグアイに、放送に際しては、演出効果まで考へてゐる男なのである。対談に於て、構成を考へてゐる。心底からの図太い勝負師であつた。
夕食休憩になつたが、私が対局場を去つて以来、塚田が七十五分考へて、七四角、と一手指したゞけであつた。それからの二時山間あまり、木村が考へつゞけて、まだ手を下さぬうちに、七時夕食となつたのである。
八時に再開。対局場の中へはいつちや悪いから、道場の片隅から、私はそッと見てゐた。木村がにわかに駒をつかんで、パチリと叩きつけ、もう一つ、強く、パチリと叩きつけた。それが八時二十分。外は雨。宵闇がたれこめて、明暗さだかならぬイヤラシイ時刻であつた。
木村の指手は、四九飛。この手に百五十七分つかつて、合計三百十八分であつた。
塚田、六四金(四分)木村、二十六分考へて、二六角。それから、四三銀(三分)四五歩(二十七分)五四金、四四歩、四四同金左(三分)四七金、八六歩(三十八分)同銀、五五銀、四五銀(二十五分)
このとき、凡そ十時半。四囲はとつぷり闇につゝまれ、光の中へ照らしだされた屏風がこひの緋モーセンは、いよいよもつてハラキリの舞台であつた。
ここで、又、塚田二回目の長考がはじまつた。この時までの消費時間は、木村の三百九十六分に対して、塚田はわづかに百六十三分であつた。
控室へきてみると、もう碁将棋で遊びふけつてゐる者はゐない。部屋の中央へ将棋盤をだして、土居、大山が盤に対し、金子八段が盤側にひかへて、駒をうごかし、次の指手の研究に余念もない。将棋はまさしく勝負どころへ来てゐるのである。
土居、大山、金子の研究では、どうしても木村よし、といふ結論になる。そこへ倉島竹二郎がやつてきて、オイ、記者室の方で升田と原田がやつてるが、あつちぢや、塚田よしの結論だぜ。大山は木村に似た棋風だから、木村の思ふ壺の結論がでるんだよ。升田は塚田に似た棋風だから、この部屋の連中の気がつかない手を見つけてゐるんだ、と報告した。
「そいつは、面白い」
と、豊田三郎が記者室へ走つて行つた。私も記者室へ行つて、原田八段から説明をきいたが、必ずしも塚田がいゝといふ結論ではない。結局、ここの指手の研究では、原田八段が最も偏せず、あらゆる場合を読みきつてゐたやうである。彼の研究相手は渡辺八段。升田は私と入れ違ひに、私たちの控室へ行つてゐた。
問題は、つゞいて、四五金、同桂、四四歩までき
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