夜対局地へくるなんてことはしないからね、対局の三日ぐらゐ前、おそくて二日前には対局地へついて、静養してゐるのだからね、と云つた。
升田は木村の一日前に名古屋へ来てゐた。その心構へに当てつけたワケではなかつたらう。彼の自戒とも自嘲ともつかないやうな心事と、それに若干の誇り、オレは立場上さうすることが出来なかつたんだといふ見栄も、いくらかは含まれてゐたかも知れない。
彼は十年不敗の名人であり、大成会の統領で、名実ともに一人ぬきんでた棋界の名士で、常に東奔西走、多忙であつた。明日の対局に今夜つくはおろかなこと、夜行でその朝大阪へついて対局し、すぐ又所用で東へ走り西へ廻るといふ忙しさであつた。彼はそれまでストレートで升田に負けてゐた。それは概ね東奔西走の間に於ける対局で、塚田に敗れて名人位を譲る七回のうちにも、あわたゞしい対局をいくつか行つてゐたといふ。それでも勝てる、と思つてゐたのだ。升田に敗け、つゞいて決定的な破綻、名人位を譲るといふ悲劇にあひ、彼の自信は根柢から崩れ去つたのである。
あれは二年前の六月六日であつた。覚え易い日附であるから、忘れることがないのである。中野のモナミで行はれた名人戦の第七局。その対局で彼は名人位を失つたのである。私はその対局をツブサに見てゐた。記録係までウンザリして散歩にでるやうな木村の長考の間も、ガランとした対局室に、常に私だけが二人を見まもつてゐたのである。
まことに木村は断末魔にもまさる切なさであつた。彼は夕食にも手をつけなかつた。もうその時から疲れきつてゐたが、夜の九時ころ、塚由が長考してゐる時、彼は記録係へ「応接間へよびに来てね」と云ひ残し、薄暗い応接間の肱懸《ひじかけ》椅子にグッタリのびてゐた。
零時ごろには、すでに敗北は明らかで、一秒ごとに名人位を去りつゝある苦悶がにじみでゝゐた。ともすれば、その苦悶に破綻しようとする苦痛を抑へて、彼は必死に気持を立て直さうとしてゐた。そのために、彼は顔面朱をそゝぎ、鬼の顔に、ふとい静脈が曲りくねつて盛りあがつてゐた。悲しい殺気であつた。彼はもう将棋を争つてゐたのではなく、名人位を失ふといふ切実な苦悶に向つて殺気をこめて悪闘してゐたのだ。
駒を投じて数時間後、朝酒に、彼はいくらか落ちつきを取り戻してゐた。
オレは時間に負けたんだ、と彼は云つた。オレは読んで読みぬくんだからね、と。
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