十分考へて、三五金。
 この報らせが来た時、
「アア、あかん」
 土居八段はすぐ首をふつた。
「塚田名人、どうか、しとる。魔がさしたんぢや。負ける時は仕方のないもんぢや。それにしても、ひどい手ぢやなア」
「なぜですか」
 と、私。
「これは、ひどい手ぢや。せつかくの持ち金を使うて、たゞ角道をとめたといふだけ、ほかに働きのない金ぢや。これで金銀使ひ果してしもうて、木村前名人、さぞかし安心のことぢやらう」
 土居八段はハッキリあきらめたやうだつた。彼には塚田に勝たせたい気持があつたのであらう。
「オイ、これや。これや。前名人の左手がタバコをはさんで、頭の上へ、こう、あがりをるで」
 と、升田がその恰好をしてみせた。勝勢の時の木村の得意のポーズなのである。
 それから十分ほどすぎて、次の指手の報らせがきた。
 五九角(一分)五四銀(七分)七四角ナル。六二飛。三七飛。
 控室の一同が、その指手を各自の手帖に書き終つたばかりの時である。人が一人走つてきた。
「勝負終り。木村が勝ちました」
 アッといふヒマもない。一同がひとかたまりに道場へ走りこんだ。
 二年前に勝つた時もさうであつたが、負けた塚田も、表情には何の変化もなかつた。いつも同じショボ/\した眼である。
 あとの指手は、六三銀。八三馬(一分)八二歩。三八馬。四二飛。三六歩(一分)仝金。三七歩。仝銀(一分)仝角。四六歩。二四歩(二分)まで。
 時に、四時二分。

          ★

 録音機がクルクル廻つてゐる。木村、塚田、金子の三人が放送し、大山と私が対談を放送し、西村楽天氏らが放送した。夜は明けてゐた。
 私が控室へ戻つてみると、升田がひとりハシャイでゐる。思ふに彼は、すでに来年の挑戦試合を考へ、自らを挑戦者の位置において、亢奮を抑へきれないのであらう。
「悪い手を指すもんぢやなう。塚田名人ともあらう人が。日頃の鋭さ、影もない。負ける時は、あゝいふものか」
 升田は小首をひねつて、
「然し、木村前名人は、いや、すでに木村名人か。木村名人は、強い」
 ひとりハシャイでゐる。
 大山がそッと戻つてきて、私に並んで、窓を背に坐つた。彼はいつも物音がなく、静かであつた。私は大山にきいた。
「木村と塚田、どつちの勝つた方が、君にありがたいの?」
「さア?」
「升田は木村が勝つたので、ハリキッてゐるらしいが、君は塚田が勝
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