てしまふ。
 塚田、六五歩(八分)それから菓子をくひはじめる。ちよッとしか食べない。お茶もちよッとしか飲まない。
 木村、三七桂(十四分)パチリと打ち下して、タバコをグッと吸ひながら、記録係の方をヂロリと睨む。
 塚田、四分考へて、ウフ、ウフ、ウフ、と咳ばらひをしながら、二二王。
 木村、九六歩(二分)。塚田、九四歩、ノータイム。
 木村、片手をついて身体を記録係にすりむけて、何かヒソヒソと云ひかけると、塚田が便所へ立つた。すると記録係も立ち去り、塚田が便所から帰つてまもなく、オバサンが例の小笠原流、板敷の上をグルッと一周して、お茶を捧げてきた。今度も、木村のヒソヒソ声はオ茶の注文であつたらしい。すぐガブ/\と飲んでしまつた。塚田も一口お茶をのむ。二人は同じやうに腕組みをしたまゝ、全々身動きがない。木村の手番なのである。沈々黙々たるまゝに、午後一時がきて、昼休みとなる。
 二時半、再開。
 見物人は、午前中の中程から、私ひとりである。ほかの人たちは、みんな控室にゐる。控室は二つあつて、一つは毎日新聞の招待客。一つは各社や、ラヂオ、ニュース映画などの記者控室である。
 一手指すたびに、記録係が指手と使用時間を書いた紙片を屏風の隙間から出しておく。毎日新聞の係りが見張つてゐて、ソッと忍び足でやつてきて、これを控室へ持ちかへる。こゝには、土居、渡辺、升田、大山、原田、金子等々の八段連がつめかけてゐて、指手の報らせがくるごとに研究がはじまるのである。
 人々は畳の上を歩く時は、注意して忍び足で歩いてゐるが、どうしてもブルブルふるへる。対局場に人の姿がへつてヒッソリすると、どんなにひそかに歩いてもダメである。
「ブルブル地震のやうだね」
 と、木村がふと顔をあげて云つた。
「終盤になつたら、歩くのに、注意してくれたまへ」
 と、記録係に念を押した。
 休憩後、坐つて十分間ほど考へたと思ふと、木村は立つて、便所へ行つた。生理的なものよりも、気分的な必要によるものゝやうである。
 木村、四八飛と廻つた。昼食前から考へて、合せてこの手に六十六分。消費時間は合計百六十一分。塚田はまだ四十三分である。
 塚田、ここで、長考をはじめる。ここが策戦の岐路、運命の第一回目の岐れ道ださうである。
 小笠原流のオバサンが三時の茶菓を運んできた。見物人は私ひとりである。木村、ふと私の前に茶菓のない
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