は「桜」といふ同人雑誌に連載しはじめたが、私は二号までゞ脱退したので、宙ブラリンで終つてしまつた。この「桜」といふ雑誌に就ては、女の事情で、なるべく当時のすべてを忘れたい願ひがつきまとつてゐるものだから、この長篇の続篇も、忘れるやうに、私はまつたく、「桜」といふ雑誌の名を思ひだしても苦痛なのだから、続篇は書く気持がなくなるやうに宿命づけられてしまつた。あのとき麓を完成することができてゐたら、私の青年期にも、ともかく一つ本当の私の足跡らしいものを残すことができたであらうものを、私生活にたゞ単調な読書と思索しか持たなかつた私は、私自身の姿を老幼男女様々な人物のその組合せ関係の大きなロマンによつてしか表現し得なかつたに相違なく、私は短篇は書けなかつた。私の当時の短篇は、観念を消化しきれず、観念にひきづりまはされ、限定されてゐるのだ。
当時私のこれらの短篇小説が一貫してシャニムニ追ひもとめ、くひさがつてゐることは、孤独といふこと、虚無といふこと、そして淫楽に対する絶望だ。すべての作品が最後にもらしてゐる呟きは、すべてたゞ、孤独、人間は最後にそれ以外の何ものでもないといふ一語につきる。どういふ
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