が溢れてゐたから、特に一部をとりあげて注意を払つてみることを谷村は気付かずにゐた。仁科の媚態にも、岡本と同じものがあつた。それは素子の肉体に話しかけてゐることだ。岡本の媚態によつて、谷村はそれを発見した。
そのとき谷村は更に意外な発見をつけたした。それは蛙の正体に就てであつた。
谷村は思つた。この数年来、仁科に対して見せてゐる谷村の態度が、素子の反感をそだててゐたのではなかつたか、と。谷村は常に仁科をやりこめる。その作品を嘲笑する。みぢめな思ひをさせてゐる。そして怒らせて悦に入つてゐる。素子はその谷村にひそかな憤懣をよせてゐた。そして、やゝ似た事態が岡本の場合に起つたとき、岡本に仮託してかねての憤懣を吐きだしてゐるのではないかと。
かゝる憤懣をひそかに燃す素子は、いつか仁科を愛してゐるのであらうか、と谷村は思ふ。
素子は谷村を精いつぱい愛してをり、昔も今も変りはなかつた。変つたのは、年をとり、新鮮味が衰へて、愛情でなしにいたはりを、献身でなしに束縛を意識しがちであるといふことだけだつた。谷村は素子の魂の純潔を疑る思ひは微塵もなく、長い旅路の大きな感謝があるだけだつた。
あらゆ
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