よ。芸術家然とをさまる時のあのチョビ髭はゾッとするほど厭なんです。けれども、それはそれですよ。それに向つて石を投げる必要は毛頭ないぢやありませんか」
素子は社交的な女ではなかつた。絵の勉強もしたが、作家特有の華美なるものへの志向も顕著ではない。どちらかと云へば地味な、孤独な性格で、谷村と二人だけで高原の森陰とか田園の沼のほとりで原始的な生活をして一生を終りたいと考へ耽るやうな人であつた。
この性癖は根強いものだと谷村は思つてゐた。病弱な谷村とすゝんで結婚したことも、その病弱が決定づけてゐる陰気な又隠者的な生活に堪へてゐるのも、素子の底にこの性癖があるからで、その自然さを見出し又信じ得ることは谷村の慰めであり、安堵であつた。ほかの男と生活をするよりも、自分とかうしてゐることがこの人の最も自然な状態なのだと信じ得るほど心強いことはない。谷村の現実を支へそして未来へ歩ませてゐる安定の主要なものが、もはやこんな小さな惨めなところにある、と谷村は信じ、そしてそれを悲しむよりも懐しむやうになつてゐた。
二人は稀に口論めくこともあつたが、一方が腹をたてると、一方が大人になつた。二人だけの現実を
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