さういふ心理も実際に有りうるに相違ない。
だが、岡本の場合、それが果して真実だらうか。先づ何よりも素子がそれを果して信じてゐるのだらうか。
素子は岡本の媚態を「みじめ」と言ふ。そして素子はみじめな男が何者に向つて話しかけてゐるか、話しかけられてゐる者が自分の中に棲むことを「今」は気付かぬのかも知れない。そしてたぶん今は気付かぬといふことが本当だらうと谷村は思つた。そして、今は気付かぬといふことの中に多くの秘密があることを見出したやうに思つた。
★
近所に住む大学生で、谷村夫妻に絵を見てもらひにやつてくる男があつた。仁科と云つた。絵の才能はもとよりのこと、絵の趣味すらもない男だ。たゞ物好きがあるだけで、マッチのペーパーを集めるやうな物好きで、絵をかき、それを見せにくるのである。今では大学を卒業して、官庁の役人になつてゐた。
絵は下手くそだが、画論だけは一人前で、執念深く熱論にふけり谷村を悩ますのだが、例の物好きで手当り次第に画論だの美学の本を読み耽るから雑然として体系はないが谷村を悩ますためには充分であつた。
仁科は身だしなみがよかつた。ポマードも入手難の時世であつたが、彼の毛髪は手入れよく光つてゐたし、ネクタイから靴の爪先に至るまで、煙草ケース、ライター、時計、ペンシル、パイプ、こまかな一々の持物にも何国の何製だの何式だのと語らせれば一々数万語の説明が用意されてゐる。それに反して心象世界の風物には色盲であり、心の風も、雲も、霧も、さういふものには気もつかず、気にもかゝらず、まつたく手入れがとゞいてゐなかつた。
「君は何のために絵をかくのだらうね。仁科君。人が写真をうつすには、記念のために、といふやうな目的があるものだがね。そして、記念とか、思ひ出のためにといふことは、下手クソな絵を書くよりは充分意味のあることさ。ところが、君の絵ときては、記念のためでも思ひ出のためでもないことが明かなやうだが、違ふだらうか。そして、自然が在るよりも大いにより汚く、無慙きはまる虚妄の姿に描き上げてゐるのさ。これは君の美学では、どういふ風に説明するのかね」
谷村は仁科の顔を見るたびに、からかはないといふことはない。仁科は焦つてムキになつて画論をふりかざしてくるのであるが、谷村はまともに受け止めることがない。体をひらいて、横からひやかす戦法を用ひるのだつ
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