現れますが、彼の現実の生活では、最も快適な酔ひの後に、やうやくいくらかそれらしい調子の外れた笑ひがでたにすぎません。
 先日モーリス・シュバリエの映画を見て、かうした際の重い感じを、たうてい芥川龍之介が足もとへすら及ばぬ程度の巧みさで軽くかはしてしまふのを見て、彼が時代に流行する当然の理由を知つた思ひがしたのです。かうした際のチャップリンの危なさは私には堪へられません。稀れにしか映画を見ないうへに、ことに日本映画には無縁の日々を送つてゐてそれに就て語ることも奇妙なのですが、P・C・Lの写真ばかりを二三見ました。登場する俳優達の表情の重さや危なさが余りとはいへ無芸の極みで言語同断の感でしたが、北沢といふ男のひとと椿といふ女のひとがシュバリエとの比較はとにかく、さうした軽いかはしかたを恰も生来のもののやうな自然さで体得してゐる事実を知り、無縁に見えた日本映画愛好者にいくらか信頼をもちだしたのです。またエンタツ氏の映画ならなるべく見やうと思ひました。然しかやうな言種《いいぐさ》は映画を徒然のなぐさみに読む絵草紙然たるものとしての見解で(私はそのやうな意味でのみ映画を見がちなものですから)芸術
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