のものです)異色ある映画製作者がゐるが、そのひとつの作品を見物してみないかと誘ひました。その製作者や俳優の名は忘れましたが「生きてゐるモレア」といふ映画でした。まず当代の常識的な虚無をもつて性格とした極めて知性的な主役が、私がかつて行つた言動に類似のことを行つて万やむを得ぬ重い苦笑に心をさそひ、けれどもむしろ倦怠のみの時間のうちにやがて映画は終つてゐました。然しひとつの場面のみが暗処にうごめく何物かに似た幾分不快な感触を帯びて、やや忘れえぬ濁つた印象を残したのです。
 そこは料理店の食卓らしく思はれます。以下すべて印象ですから事実との相違はあるかも知れません。出版業者であるところの虚無家が一閨秀詩人と恋に落ち、その食卓に二人が坐つてゐるのです。女占師が這入つてきました。まづ閨秀詩人の手相をみてやがて二児の母たる宿命をつげ、次に男の掌を見たときには恰《あたか》も憎むべきものを見たかのやうな敵意を視線にみなぎらし、つひに一語の予言すら語らずに、女に護身の首飾を無償で与へて立ち去るのでした。男の表情は結局微動もしなかつたことを覚えてゐます。
 私はわが身の同じ場合を想像せざるを得ないのであり
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