女占師の前にて
坂口安吾

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)恰《あたか》も

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)長島|萃《あつむ》といふ相棒が

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「者/火」、第3水準1−87−52]
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[#ここから地から5字上げ]
これは素朴な童話のつもりで読んでいただいても乃至は趣向
の足りない落語のつもりで読んでいただいてもかまひません
[#ここで字上げ終わり]


 私はあるとき牧野信一の家で長谷川といふ指紋の占を業とする人に私の指紋を見せたことがありました。私は彼のもとめに応じて私の左右の掌を交互に彼の面前に差出したまででありますが、君のもともとめられた牧野信一は神経的に眉を寄せ、いくらか顫えを帯びた小声で僕はさういふことは嫌ひなんだと誰にとなく呟いたりしたのち、結局座を立つて便所へ行つたりなど細工して、たうとう彼だけは見せなかつたやうでした。感性だけで生きてゐた牧野信一は予言のもつ不吉なものを捩ぢ伏せることに不得手で、赤裸な姿を看破せられる不安にも堪えがたかつたのでありませう。
 私とて占者の前に淡白では立ち得ませんが、赤裸な心情を看破せられること、または予言のもつ宿命的な暗影をもつた圧迫感を負担とするにはいくらか理知的でありすぎるやうです。恬として迷信に耳をかさぬかの面魂をひけらかしたがる私の性分にいくらか業を※[#「者/火」、第3水準1−87−52]やした菱山修三が、あるとき若干の皮肉をこめて、理知人ほど迷信的なものだといふアランの言葉を引用したのですが、私は一応暗にその真実は認めてはゐても、必ずしも彼の言葉に心を動かすものではありませんでした。理知人ほどやがて野性人たらざるを得ません。それのひとつの表れとしてまた迷信的たらざるを得ないことも自然ですが、本来迷信的であることと質に於て異るゆゑ、私はむしろかやうな場合我々の言葉の単純さと、そのはたらきが単純のために却つて行はれやすい魔術的な真実らしさを疎ましく思ふものであります。
 この二月来私が放浪の身をよせてゐる京都には二人の友達がゐるのですが、その年若い一人の友が訪れてきて、近代人の悪魔的な性格にのみ興をもつ(この表現は彼のものです)異色ある映画製作者がゐるが、そのひとつの作品を見物してみないかと誘ひました。その製作者や俳優の名は忘れましたが「生きてゐるモレア」といふ映画でした。まず当代の常識的な虚無をもつて性格とした極めて知性的な主役が、私がかつて行つた言動に類似のことを行つて万やむを得ぬ重い苦笑に心をさそひ、けれどもむしろ倦怠のみの時間のうちにやがて映画は終つてゐました。然しひとつの場面のみが暗処にうごめく何物かに似た幾分不快な感触を帯びて、やや忘れえぬ濁つた印象を残したのです。
 そこは料理店の食卓らしく思はれます。以下すべて印象ですから事実との相違はあるかも知れません。出版業者であるところの虚無家が一閨秀詩人と恋に落ち、その食卓に二人が坐つてゐるのです。女占師が這入つてきました。まづ閨秀詩人の手相をみてやがて二児の母たる宿命をつげ、次に男の掌を見たときには恰《あたか》も憎むべきものを見たかのやうな敵意を視線にみなぎらし、つひに一語の予言すら語らずに、女に護身の首飾を無償で与へて立ち去るのでした。男の表情は結局微動もしなかつたことを覚えてゐます。
 私はわが身の同じ場合を想像せざるを得ないのであります。
 長谷川といふ指紋研究家もさうでしたが、彼は私の愛慾について語るべきときには、まつたく口を噤んでゐました。また私の未来について語る時にも、あなたの性格はあまのぢやくだから――さう語つて私の視線をはばかるやうに俯向き、さう言へばあなたに通じるでせうねと呟いておいて、だから色々の障礙《しようがい》がありますと言つた。勿論彼は敵意を見せはしなかつたのですが、言明をさける風が私の場合の唯一の態度であつたのです。
 私は好んで占師の前に立つたことはありませんが、一度は路上で俄雨にうたれそこが丁度ある占師の門前であつたときと、一度は酒の酔にまかせて都合二回職業占師の眼光に心身をさらしてゐるのです。結果は長谷川指紋研究家と大同小異でありました。私の愛慾生活の宿命とあまのぢやく的性格に就て語る時には言外の暗示によつて私の理会に俟《ま》たうとする用心深い眼付をみせたやうでした。私は事を神秘化して言はうとするものではありません。彼等が暗示するものに就いては、もとより私がつとに知らぬ筈がなかつたのです。
 話が偶然占者とのみ関聯しますが、私の中学時代の最も親しかつた友達が、白眼学舎なにがしと看板をか
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