独の歎きを異常な深さに感じなければならなかつたものでせう。彼の生活に血と誠実は欠けてゐても、彼の敗北の中にのみは知性の極地のものをかり立てた血もあり誠実さもありました。立ち直ることができずに彼は死んでしまつたのですが、そのときは死ぬよりほかに仕方がなかつた時でしたでせう。
 知性の極北まで追ひつめられたものではない自殺、つまり漠然とした敗北感や失意、また失恋や貧乏も同断ですが、それらのものは単に偶然の仕業によつて死ぬものであります。ある偶然の仕業がなければ死なずにゐるでせうし、死ななかつたとしても、死ぬ前の彼とその後の彼と殆んど生活に変りはないと思ひます。
 然しながら芥川のやうに同じ失意や敗北感も知性の極点のものを駆り立てて追ひつめられてみると、これはどうにも死なずにはゐられません。もし死なずに、立ち直ることができたとすれば、彼の生活も変つたでせうし、また芸術も変つたでせう。私は彼の残した芸術をでなく、死ななければ残したであらう芸術のために、その悲痛な死を悼む思ひがいくらかあります。
 生憎これは時代の思想がさうであつたせゐでせうが、芥川ほど誠実無類な敗北をしても、なほ自殺といふ単純な一現象に異常な意味をもたせるやうな幼稚な臭味をまぬかれてゐません。それゆゑ彼の自殺は、その内容の悲痛さにも拘らず、外見は鼻持ちならぬ衒気を漂はしてしまつたのです。これは恐らく時代の罪だと思ひます。あのころの時代の好みが自殺なぞといふことの行為自体に超人的な深さをもつた意味を持たせてゐたのでせう。コクトオですらさういふ時代の魔力からぬけだすことができてゐません。レエモン・ラディゲの「オルヂェル伯爵の舞踏会」の序文などはいささかやりきれない思ひなしでは読めないものです。
 時代の相違でありませうが、牧野信一の自殺には芥川の自殺の外見が示したやうな幼稚な衒気がありません。これは恐らく時代の好みがさうであり、牧野信一がさういふ好みに敏感だつたせゐだらうと思ひます。そして自殺の外貌に幼稚な臭気がなかつたばかりで、人々は(すくなくとも私の周囲の多くの人は)自殺の内容まで牧野信一の場合の方が芥川のそれよりも悲痛なものだと思ひがちでありました。私はまつたく反対であります。
 牧野信一の自殺の原因としては、失意、女、敗北感、貧乏、病気等々あげられませう。然しながら芥川龍之介の場合のやうに知性の極北のも
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