真実の価値は恐らく理知の至高のものが変形したただ一片の感傷でありリリスムなのですが)ある日なにがしといふ農民作家が芥川龍之介を訪ねてきて、自作の原稿を示しました。その前にちかごろは農村も暮しにくいので人間もずるくなる一方だといふ話などしてゐるのです。芥川がその原稿を読んでみると、まだ若い農民夫婦に子供が生れたが、この貧乏に生れたひとつの生命が育つてみても結局育つ不幸ばかりがあるだけだといふ考から、子供を殺す話が書いてあるのです。暗さに堪へきれぬ思ひのした芥川が、いつたいこんなことが実際農村にあるのかねと訊ねました。あるね、俺がしたのですと農民作家が答えました。そして芥川が返答に窮してゐると、あんたは悪いことだと思ふかねと重ねて彼は反問したのです。芥川はその場にまとまつた思想を思ひつくことができず要するに話は中途半端に終つたのですが、農民作家が立ち去ると彼の心にただひとり突き放された孤独の思ひが流れてきました。そして彼はなんといふこともなく二階へ上つて、窓から路を眺めたのですが、青葉を通した路の上に農民作家の姿はもはやなかつたさうです。この断片の内容はさういふ意味のものでした。
 私は昨今芥川龍之介の自殺は日本に於て(世界に於てでも同じことです)稀れな悲劇的な内容をもつた自殺だと思ふやうになつてゐます。彼の文学はその博識にたよりがちなものでしたが、博識は元来教室からも得られますし、十年も読書に耽ければ一通りは身につくものです。然し教養はさういふわけに行きません。まづ自らの祖国と血と伝統に立脚した誠実無類な生活と内省がなくて教養は育たぬものです。半分ぐらゐは天分も必要でせう。芥川は晩年に至つてはじめて自らの教養の欠如に気付いたのだと思はれます。すくなくとも晩年に於てはじめてボードレエルの伝統を知りまたコクトオの伝統を知つたやうです。その伝統が彼のものではないことを知つたのでせう。彼は自分に伝統がないこと、なによりも誠実な生活がなかつたことに気付かずにゐられなかつたと思ひます。彼の聡明さをもつてすれば、その内省が甚だ悲痛な深さをもつてゐることを想像せずにゐられません。彼は祖国の伝統からもまた自らの生活からもはぐれてしまつた孤独の思ひや敗北感と戦つて改めて起き直るためにあらゆる努力をしたやうです。一農民の平凡な生活に接してもそこに誠実があるばかりに、彼はひとりとり残された孤
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