をゆがめ、各自反逆し合ふタテマヘを免れ得ないに相違ない。
 社会的なる人間と個人的なる人間と、その二つが相反せざる唯一のものとなり得る時があるだらうか。思ふに現世の良俗は破れた嚢《ふくろ》を縫ふやうな間に合せな稚拙なカリヌヒであるにしても、あらゆる現世に於て多かれ少かれカリヌヒであることはその宿命で、良俗に就てかかる絶望的な宿命を確認することは、良俗への侮蔑の念を失ふ根柢ともなるものである。良俗はタカの知れたものではあるが、それが永遠にかかるものでしか有り得ないと見るときには、タカの知れたものであるまま、その意味を認めて何等かの協力を致さざるを得なくなるであらう。
 それにも拘らず、人間性といふものは、その実相を率直に指し示すことによつて、良俗と相容れ協力する余地はない。その実相に於いて直接相反するものであることは如何ともなしがたいものである。
 然し、直接に不協力の意味に於て、人間性の冷酷な写実を悪徳と見るのは当らない。なぜなら、人間はかくの如きものであるのだ。あらゆる良俗に反するにしても、常に人間がかくの如きものであることに於いて変りはないから。

「危険な関係」が二百余年の時間の
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