息子を道具に使ふとは怪しからん親父だといふ火の手が碁会所に燃え上つたから、兜を脱いで、息子の方を取消して、公然と親父の表看板で立向ふことになつたが、すぐ顔を赧《あか》らめるやうな愛すべき人で、学生相手に下手な常磐津を唸つてきかせ、碁は五級だが常磐津は五段だなどと威張つてゐる。
 岡田氏と僕と相談して、Nさんは青い眼が好きだから、バタ臭い酒場へ一夕案内することにした。上野のとある酒場へ行つたのである。
 Nさんの来場を知つて待ち構へてゐた日本人だか混血児だか分らぬやうなのが十人ばかりワッとばかり殺到し、フランス語で挨拶する女があつたりするものだから、もと/\女には気の弱い大佐のことで、昔の波止場々々々を思ひ出すどころか、大いに怖れをなして縮みあがつた。
 余程どぎもを抜かれたと見え、その後は「スペインの女王」の方へも余り通はないやうであるが、それでも海南島上陸だとかヘンケル機到着といふと、好機逸すべからずとばかり、お祝ひにちよつと一杯などと言ひだす。

 Nさんの息子が入営した。入営を送つたNさんは意気高らかに碁会所へ現れて忽ち僕に負けたりしたが、一週間目に浮かない顔でやつてきた。僕達を誘つて池の端の花屋へ行つた。
 上のものが食事の量を多くとるので、初年兵は汁も実がないといふ風に食事が充分でない。今日御馳走を喰べさせたらガツ/\喰つた息子の様子が気の毒であつたと沈んでゐた。「公平でなければならない」昔の上官の頃のやうにNさん酔つて叫んでゐたが、息子に申訳ないと見えて、その晩は「スペインの女王」のゐない店へ僕達を招待したのである。



底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「都新聞 一八五〇三〜一八五〇五号」
   1939(昭和14)年5月6〜8日
初出:「都新聞 一八五〇三〜一八五〇五号」
   1939(昭和14)年5月6〜8日
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:noriko saito
2008年9月16日作成
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