きものではない。強いから名人、それ以外はない。
文学の方でも秋声先生の縮図などを枯淡の風格とくる。面白をかしくもない、どこと云つて心にしみる何物もあるでもない。ところがその淡々たるところが神業だと云つて、面白をかしくないから、俗ならず、高雅で、大文学だといふ。夢みたいなことを言つて、それを疑りもしないから、バカげてゐる。
然し文学の方には勝負がないのだから、私がどう言つても水かけ論だが、将棋のやうに勝負のハッキリしたものでも弱いけれども名人の風格、駄ジャレにもならない言葉が誰に疑られもせず通用してゐるのだ。
将棋の強弱は勝つための「術」によるものだ。剣術も同様、相手に勝つ術が主要なものであり、風格などは問題ではない。
兵法とか剣術といふものは乱世の所産で、是が非でも勝つため、勝たねば我身を失ふために編みだされた必然の術であつたが、太平になれると戦はずして勝つ、などいふ奇術的曲芸をより大なる兵法なりと称するに至る。
昔の剣の試合は真剣勝負だから一命にかゝはる。だから剣術や戦争は戦はずして勝つのが第一便利にはきまつてゐるが、それは曲芸的な意味ではなく、真に自分に実力があつて、戦へ
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