ポンのことだ。この朝、のびてモナミへたどりついた私が薬をのんで応接室のソファーにひつくりかへつてゐたとき、彼がきて、ゆうべ徹夜で、ねむくて今日は持ちさうもないと言ふから、私のヒロポンをのませた。彼はこの薬品を知らなかつたのである。効果テキメンだから、塚田八段にも飲ませようと思つたのだらう。
気の毒だから、と倉島君が言つたが、両棋士、まつたく無慙に疲れきつてゐる。然し将棋界ではヒロポンが全然知られてゐないらしい。疲労見るも無慙だから、こんな時ヒロポンのむのが、ヒロポンの最大の使ひ場所といふところで、私は二人に教へてやらうかと思つたが、塚田八段は虚弱な体質で、私がすゝめたばかりにヒロポンで命をちゞめたなどとなつてはネザメが悪いと思つたから、やめた。夜になるとニュース映画の一隊が勝負の結末を待つて詰めてゐたが、この連中は頻りにヒロポンを注射してゐた。
★
夕食後、夜になり、ガラス戸の向ふの庭が真ッ暗で、何もなくなる。宇宙がこの部屋一ツになつたやうな緊張が、部屋いつぱい、はりつめる。
木村名人端坐黙想してゐたが、ふところからメタボリンの錠剤をとりだしたとき、夕食前
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