。老大家のみならず私の如き青二才でもその点では木村名人に同情するにヤブサカであるべき筈はない。
私は何分もうすこしで心臓がつぶれるところであつたのだから、名人戦がこんなにセチガライ性質のものぢやア、どうも心細くなつてきた。然し案ずるに、勝負は本来かくの如きものであるべきで、そこに生存が賭けられてゐる一生の術であり仕事だから、それぐらゐ、当然の筈でもあつた。往年武蔵の真剣勝負、生命を賭けたあの構へが、つまり勝負本来のもの、芸本来の姿なのである。
「然し、君」
と倉島君は言つた。
「君の狙つてゐることはね。こいつは、外れるぜ。名人はもう大人になつてしまつたからな。勝負の鬼といふのは、昔のことだ。今は君、政治家、人格円満な大成会党主だよ」
★
倉島君の言葉の通りであつた。心理の闘争、闘志が人間的に交錯するといふことが、この勝負には完全になかつた。たゞ沈痛な試合であり、まつたく沈黙の勝負であつた。
始まるからといふので倉島君の案内で手合の日本間へ通り、名人と塚田八段に挨拶して座につく。坂田八段をモデルの芝居を上演中の辰巳柳太郎、島田正吾、小夜福子三氏が見学に来て
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