政治だと思ひ、政策、政策の実行、その信念、それを二の次にしてゐる。
 棋士が将棋に殉ずる如く、政治家はわが政策に殉ずべきもの、千日手をさけて、わが道に殉ずる誠意を犠牲にし、敵と巧みに妥協して四畳半的にまとめあげて、それが手腕、風格、政治だなどと、これを日本的幽霊といふ。
 日本の軍人は戦争の真の性格を知らず、戦争の勝利は、武器によること、武器の威力が戦争の威力であることを知らず、廻れ右前へ進め兵隊は教練に大半暮し鉄砲のタマを当てる技術に費す時間はいくらもなく、原子バクダンなど考へてもみない。戦争の始めから、勝つことぢやなしに、どこで巧く媾和《こうわ》するか、そんなことばかりを当にしてゐる。
 すべて日本のかゝる哀れサンタンたる思想的貧困が、この戦争の敗北と共に敗れ去らねば、新しい日本は有り得ない。権威の否定とはさういふことで、日本を誤らしめてゐた諸々の日本的幽霊をその根本に於て退治することであり、木村名人は十年不敗の権威によつて否定されるのではなく、将棋に不誠実なること、将棋以外の風格によつて名人的であつたこと、架空の権威と化しつつあつたために、負けるべき性格にあつたのである。精神にたより神風にたよつた日本が破滅した如くに、名人は敗れて、自ら天命也といふ。まことにバカバカしい。だから負ける性格であつた。
 将棋に殉じ、その技術に心魂さゝげるならば、当然勝負の鬼と化す筈、政治家は政策の実行の鬼と化し、各々その道に倒れて然るべきもの、風格の偉さなどといふものは、どこにも有りやしない。将棋は将棋の術によつて名人たるのみ。
 名人の言ふ如く時代だ。然り、亡ぶべきものが亡びる時代だ。形式が亡び、実質のみが、その実質の故に正しく評価されるために。新しい、まことの日本が生れるために。
 実質だけが全部なのだ。



底本:「坂口安吾全集 05」筑摩書房
   1998(平成10)年6月20日初版第1刷発行
底本の親本:「群像 第二巻第八号」
   1947(昭和22)年8月1日発行
初出:「群像 第二巻第八号」
   1947(昭和22)年8月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:深津辰男・美智子
2009年4月20日作成
青空文庫作成ファイル:
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