いつもたくさんやるのかね」
 ときく。初日にたくさんやる、意味が分らないから記録係が返事に困つてゐると、
「初日に行くと、トクだね。いつもだと、三時間ぐらゐ。正味二時間半で帰つてくるからね」
 と呟いてゐる。なるほど初日は長くかゝる。長くかゝるから通例人は初日の観劇が厭なんだが、塚田八段は退屈を知らないのかも知れない。ほかの人間が自分とあべこべの考へ方をしてゐようと、気にかけたこともなかつたといふ顔付だ。そして、それつきり、黙つてしまつた。以下深夜、手合の終るまで、喋らなかつたのである。
 土居八段がビッコをひきひきMボタンをはめながら「一局碁を観戦してきたんぢやけど却々《なかなか》面白い」大きな声で登場、隣室の間の襖をしめる。隣室には毎日の記者がゐる。襖をしめても、記者を相手に途方もない大声でキイキイ喋りまくつてゐるから、何にもならない。
 倉島、三谷両君が昼食後二階で碁を打つてゐる。いづれも僕と互先、文人囲碁会のなじみであるが、まもなく村松梢風さんがやつてきて、将棋の方には顔をださず、二階へあがつて碁を打ちはじめ、これまた僕とは互先で、倉島君がそッと来て、
「村松さんがきたぜ。碁をやらないか」
 木村名人四時間十三分の大長考。記録係まで退屈して居なくなり、私がたつた一人。ところが私は退屈ではないのである。三十八手の勝負とどこで違つた手を指すか、どつちが指すか、その時の二人の様子が私は見たくて仕方がない。何かしらが有るだらう。どんな退屈を賭けても、私はその何かしらが見たいのだ。
 然し、四時間十三分の大長考、この結果は分りきつてゐるのださうだ。五六歩突き。それにきまつてゐるからその先を先の先まで読んでゐる由、持久戦のつもりなら、こゝでは考へないのださうだ。京須五段も土居八段もさう教へてくれた。
「まだ当分は変らん。一一角成、こゝで変るかな。桂があるから、二四へ打つ。そんな手もあるぢやろ。いろいろと、むつかしいところぢや」
 土居八段は満悦の様子である。
「研究に研究を重ねてるんぢや。負けた将棋を、自信がなくては同じ将棋を指しやせん。どこで変るか、今に変る。面白い」
 土居八段は珍しい人だ。勝負師の気むづかしさが全然なく、人見知りせず、誰とでも腹蔵なく喋る。好々爺である。
 木村名人一門の外はたぶんあらゆる高段棋士が名人の敗北をひそかに期待してゐたであらう。絶対不敗
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