ゝ哄笑し、漸く私がその意味を悟つたとき、笑ふ男は今まで後手に隠しておいた大きな獲物を現して縁側の上へ静かに置き、さうして、まるみのある柔かい音が縁側の上に残されたとき、笑ふ男は首をあげて二人を眺め、更に高らかに笑ふた、柔かい、重みのある柔かな音、ほんとうに、まるみのある柔かな音がしたのであつた。
曾て私の知らなかつた、不思議に生き生きと豊かな色彩を含んだ新鮮さ、そして新鮮な力を、私はその柔かな音の中に感じた。
私は朦朧とした薄明の中へ騒ぎ立つ狼狽の瞳を紛らせて、私の胸を、私の窶れた頬肉を斯んなにも冷え/\とあふり、斯うまで鋭く痛めつけた重い柔かな音の名ごりを思ひうかべて、さむざむと夕靄を眺め、私も、どんよりした黄昏の中で静かにそして爽やかに笑つた。灰色の夕暮に哄笑する三人の人たち。
私に新らしい一つの秘密が分りかけた。背中から取り出されたまるみのある柔かい音、そして哄笑するアイヌ族の鼻髭。
女は雉を膝へ載せ、奇麗な鳥ね、これ、雉ねと言ひ雉だわと呟やいて、塵紙を出して掌についた血をぬぐひ、わりに血の出ないものね、これつぱちかしらと呟やいた。そして鳥を持上げて傷口を調べ、ほんとうにこれつぱちか出ないんだわと、また膝へ載せて、奇麗な鳥だわ、それにちつとも怖くないのねと男の顔を媚るやうに見上げた。
「怖いものか。生きてゐるより、よつぽど無邪気に見えるぢやないか」
「ほんとうに、さうね……」
女は、満足した溜息のやうな微笑を浮かべて、深い黄昏の奥を眺めた。
私はその日が暮れ落ちて大きな夜が迫つてから、変に乾いた感じのする紙屑のやうな映像が顳※[#「需+頁」、第3水準1−94−6]《こめかみ》にこびりついてしやうがなかつた。男の背中から取り出されたまるみのある柔かい音、そして、生きてゐるより無邪気ぢやないかといふ黄昏の中の鼻髭、私はその言葉の中に異様なそして身にせまる同感を味はひ、侘びしすぎる同感の底で死んだ鳥の多彩な羽毛を目に泛べてそれを綺麗だと思つた。そして指のまたの凝血を拭ふ女の花車な指つきを感じた。
その夜、私は、いつか健康を取戻した日、私も二連銃を肩にかけて、荒涼とした山麓をひそやかに通りたいと思ひつゞけた。
底本:「坂口安吾全集 01」筑摩書房
1999(平成11)年5月20日初版第1刷発行
底本の親本:「東洋大学新聞 第一〇一号」東洋大学
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