よ。ほれ、例の山の神の行者お加久ですよ」
「人殺しの……」
「イエ、人殺しの方は、どうやらお加久に罪はなさそうです。あんまりうるさいから、今日にも釈放のつもりですが」
 数日前に、農家の甚兵衛方で娘殺し事件が起った。キ印の娘ヤス子(当年十八歳)を一室に監禁し、食事を与えずチョウチャクして死に至らしめたという事件である。一家の者が心を合せて謀殺の疑いがあったが、これに山の神の行者お加久が一枚加わっている。ヤス子に憑いている狐を落してやると云って、十日間も泊りこんで祈った。ヤス子に食事を与えなかったのも、後手にいましめてチョウチャクしたのも、狐を落すためというお加久の指金《さしがね》だったという町の噂であった。
「ところが取り調べてみると、どうやら、そうじゃないんですよ。お加久の所業と見せかけて罪をまぬがれようという甚兵衛一家の深い企みがあるのです。お加久は体よく利用されたにすぎないようです。どうも、邪教を利用して殺人罪をまぬがれようという奴がいるのですから、正気の人間はとにかく役者がさすがに一枚上ですよ」
 署長はイマイマしげに説明した。すると小野がふと気がついたらしい様子で、
「不二男の奴、山の神の信者になったらしい様子ですぜ。また、お加久の奴が、どういうものか、不二男に目をつけたんですね。不二男に死神がついてると云うんです。それを払ってやるというんですな。昨日まではそうだったんだが、今朝方から、不二男の奴、合掌して、お加久に合せてお題目を呟いてる始末ですよ」
 それをきくと平作の目の色が変った。
「すると、お加久にたのむと、不二男の性根を叩き直してもらえますかな」
「神様のことは警察には分りませんや」
「ひとつ、お加久に会わせていただけませんかな。もしも不二男の性根が直るものなら」
「ハッハッハ。会わせてあげないこともありませんが、それ、そこのベンチに腰かけて合掌してる怪人物をごらんなさい。兵頭清という二十五の若者ですが、お加久の大の信者でしてな。教祖の身を案じてあのベンチに坐りこみです。性根が直ってあんな風になるのも、困りものかも知れませんぜ」
 普通に背広をきて、一見若い事務員風の男。それがジイッと合掌している。青白い病的な若者じゃなくて、運動選手のような逞しさ。それがジイッと合掌しているから、かえって妖気がただよっている。平作はつぶさにそれを観察したのち、
「イヤ、あの方が何より無難です。ぜひお加久に会わせていただきたい」
 そのあげく、お加久が不二男の性根を叩き直してくれることになり、お加久は兵頭清とともに当分平作の家に泊りこんでお祈りをすることになった。そこで不二男とお加久はその晩同時に釈放となり、これに兵頭清を加えた三名が平作にひきつれられて警察を出た。
 ところがそれから三四十分後に、濡れ鼠の平作がただ一人蒼い顔で警察へ駈けこんだ。

     神様をだます人々

 平作の語るところによると、こうである。
 その日は暮れ方から降りだした雨が、平作の立ち去るころにはドシャ降りになっていた。平作の家は町からかなり離れていて、小さいながらも一山越えなければならない。
 平作はチョウチンを持ち先頭に立って山径を歩いた。どうにも一列でしか通れない道だ。ドシャ降りではあるし、お加久はお題目を声はりあげて唱えつづけているしで、ほかの物音はきこえない。平作は滑る山径を歩くだけが精一パイであったが、ようやく登りつめたところでふと振向いてみると、後にしたがってるのはお加久と兵頭だけで、不二男の姿が見当らない。
「オレのすぐ後が不二男の順であったが、まさか突然姿が掻き消えたわけではあるまい」
「坂の途中で小便の様子だから通り越して来たんですよ」
「バカヤロー。不二男の策にはまってズラカられたのだ。それで死神を落してやるの、性根を叩き直してやるのと、気のきいたことができるものか。もうキサマらに用はないから、とッととどこへでも消えてなくなれ。不二男の奴、もう、カンベンならねえ。警察で勘当の話をつけてもらう」
 平作はジダンダふんで警察へ戻ってきたのである。
 話をきいて、小野刑事はフッとタバコの煙をふいて、
「お題目の様子が神妙すぎると思ったら、やっぱりね。邪教が人をだますというが、この町の連中は邪教をだますのが流行だね。お加久はだませても、オレの目はだませないぞ。不二男の行き先ぐらいは、考えるヒマもいらないさ。一しょに来なさい。つかまえてあげる」
 小野は立ち上ると、いきなり外出の支度をはじめた。
 小野は平作をうながして、ドシャ降りの中へとびだした。裏通りから露地へまがる。
「シッ。静かに」小野は平作を制しておいて、小さな家の戸口の方へ進んだが、にわかに立ち止った。
「アッ。誰か、人が」
 平作にはそんな気配は分らなかった。
「え?
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