、笑ひがあがる。騒々しい。私も見物に行つたが、一同なるべく遠方からのぞきこむやうにして、却々《なかなか》近寄らうとしない。口だけは達者であつた。とうから偽物と見破つてゐたやうなことを口々にいひ強めてゐるのだが、宿の亭主ばかりはひどいしよげやうで、とんだ災難だとつぶやいてゐた。
 乗合自動車の休憩時間に、逃亡を目撃した運転手は暇な人々に取り囲まれて同じ話を連日繰返してゐる。この聴き手がなくなる時、この噂も消えるのであらう。
 その頃、供《とも》も連《つれ》もない美貌の湯治客があらわれた。二十七八であらう。ちよつと都会風で、明るくかつ健康さうだつた。
 宿の湯は男女混浴なので、私もこの女の裸体を見たが、すらりとして、はちきれさうな光沢があつた。病気か遊山か、全く人々に見当がつかない。連もないのに、長とう[#「とう」に傍点]留するらしい。
 私がこの宿を立ち去る頃、そのことが、大変な問題になりかけてゐた。山奥にも、年中何かしら事件があるらしい。



底本:「坂口安吾全集 01」筑摩書房
   1999(平成11)年5月20日初版第1刷発行
底本の親本:「帝国大学新聞」
   1933(昭和
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