を書くたびにウッとつかえて、わざわざ女の人と書き直したことが何度あったかわからない。
私はそれだけの人間でもあるのだ。なぜそれだけの人間として、矢田津世子の凡庸な虚栄につゝましく対処し、うけいれることが出来なかったのだろう。
私はつまり思いあがっていたのだ。
★
当時を追憶して私が思うことは、私はあれほどの狂気のような恋をした。然し、恋愛とは狂気なものではあるが、純粋なものではない、ということに就てだ。狂気とか、狂人という、いわば一つを思いつめた世界も、それを純一に思いつめたせいではなく、思いつめ方に複雑で不純な歪みがあり、その歪みが結局、狂気の特質ではないかと私は思ったほどである。つまり、人間を狂気にするものは、人間の不純さであるかも知れぬ、というワケになろう。
然し、狂気の恋愛は、純粋なものと思われ易い。私とても、それを一応純粋なものと思うのは普通であり、すくなくとも、その狂的な劇しさに於て、これを純粋とよぶことは有りうべきことである。つまり情熱のみの問題としては、一応純粋と言うべきであろう。
我々は概ね七八歳前後の幼年期に、年長の婦人に強い思慕を
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