三十歳
坂口安吾
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)却々《なかなか》
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)わざ/\
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冬であった。あるいは、冬になろうとするころであった。私の三十歳の十一月末か十二月の始めごろ。
あのころのことは、殆ど記憶に残っていない。二十七歳の追憶のところで書いておいたが、私はこのことに就ては、忘れようと努力した長い年月があったのである。そして、その努力がもはや不要になったのは、あの人の訃報が訪れた時であった。私は始めてあの人のこと、あのころのことを思いだしてみようとしたが、その時はもう、みんな忘れて、とりとめのない断片だけがあるばかり、今もなお、首尾一貫したものがない。
日暮れであった。いや、いつか、日暮れになったのだ。あの人が来たとき、私がハッキリ覚えているのは、私がひどく汚らしい顔をしていたことだけだ。私はその一週間ぐらい顔を剃らなかったのだ。
私は自分のヒゲヅラがきらいである。汚らしく、みすぼらしいというより、なんだか、いかにも悪者らしく、不潔な魂が目だってくる。ヒゲがあると、
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