があったから、我々が我々の最も重大なことにふれる日だということを、私はすでに知っていたに相違ない。
 私が最も驚いたのは、一と言だけ怒鳴って、という、怒鳴って、という表現だった。あの人が通常使う言葉ではない。そこには気違いじみた殺気があった。私はあの人がすこし狂ったのじゃないかと思った。
 あの人は目をとじていた。言うべきことを言ったのだ。そして、扉をしめて立ち去らずに、なお私の前にいるだけのことである。
 こうなれば、私自身の言うべきことも、たゞ一つしかないだけのことだ。私は然し、あの人のように一途に決意をこめてはおらず、余裕があったので、愛とか恋という言葉の表現や発音が、間の抜けたバカげたものになりはしないか、気がゝりで、言葉の選択と表現法に長くこだわる時間がすぎた。
「僕もあなたを愛していました。四年間、気違いのように、思いつづけていたのです。この部屋で、四年前、あなたが訪ねてこられた日から気違いのようなものでした。いわばそれから、あなたのことばかり思いつめていたようなものです」
 私がこう言い終ると、あの人がスックと立ち上ったように思ったが、実際は、あの人が顔を上げたゞけなのだ。その顔が青ざめはてて、怒りのために、ひきしまり、狂ったように、きつかったのだ。
「四年前に、なぜ、四年前に」
 変に、だるく、くりかえした。
「なぜ、四年前に、それを仰有《おっしゃ》って下さらなかったのです」
 そして、かすかに、つけ加えた。
「四年間……」
 すると、あの人は、うつろな目をあけたまま、茫然と虚脱し、放心しているのだ。
 私はたぶん色々な悲しいことを思ったであろう。
 何を考え、何を云ったか、あとはもう、私は殆ど覚えていない。
「外へでましょう」
 と私が言って、出たのを覚えている。私は身も心も妙にひきしまり、寒気の抵抗の中で二人で歩きつゞけていなければならないような気持であった。もう日暮れであった。寒い風がふいていた。
 私たちは、蒲田から大森へ、又、大森から大井まで歩いた。

          ★

 大井町で別れると、その時から、私はもう不安と苦痛に堪えがたい思いであった。たしか三日のあとに逢う約束であったと思う。三日という長い時間が息絶えずに待ちきれるか、私は夜もろくに眠れなかったが、そのような狂気について、私はもはや追想の根気もなければ、書きしるしたい気持
前へ 次へ
全17ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング