邪教問答
坂口安吾
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)璽光《じこう》
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璽光《じこう》様の話がでるとみんなが笑う。双葉山が小娘の指一本でひっくりかえったり、世直しの後には璽光内閣の厚生大臣であったり、京浜地方へ落ちるはずの神罰大天災が一向に起らなかったり、愛きょうがある。
けれども璽光様ははじめから邪教の様式で登場したからお笑い草ですんでいるだけのことで、人ごとではない、璽光様はわれわれの心に住んでいるのである。
大東亜戦争という、これが璽光様にほかならないではないか。八紘一宇という、科学的な推論じゃなしに、神話の中から民族の理想と予言をひきだしてくる、何々教のお筆先、璽光様の世直しの御理想と全然異るところがないじゃないか。
璽光様が当局の呼び出しを受けたというので双葉関や呉八段が天璽照妙、隊をねって歩いたという。けれども戦争中の日本人は国民儀礼と称する奇々怪々なオツトメをやらされ、朝々ノリトのような誓いの言葉を唱え、その滑稽の度において天璽照妙と全く甲乙のないことをやっていたのである。
何百人の人々が一夜に家を失ったときも、明治神宮の拝殿だけは一週間ぐらいで再建する、国民共は米も魚も拝んだことがないのに、農村から敬々《うやうや》しく献上米が殺到する、これ皆々今日璽光様の身辺に行われていることゝ変りはない。
つまり日本全体が八紘一宇教という邪教徒であったわけで、教祖の東条尊者と璽光様も殆んど甲乙はない。御両者ながら自らの邪教性についてはとんと御反省の素質が欠けており、英雄のつもり、神様のつもりでいらっしゃる。
今度『朕』という奇妙な言葉がなくなったのは当り前のこと、朕だの天皇服、皇后服などと天皇というものが特別な人柄であるような何かゞ残っている限り、天皇自らが国民的邪教の教祖たる性格をとゞめていることを意味している。
大正年間、僕が小学校のころは、朕という言葉は子供のたわむれの言葉でいわばそんな奇妙な言葉があるために天皇が子供たちの悪フザケに恰好の遊び道具となったようなものだった。実質の伴わない架空な威厳、形式的な威厳によっては人は心服するはずはなく、あべこべに戯画となり、子供の遊び道具となる。つまり朕だの天皇服などゝいうものは、璽光様の御尊厳と同じ性格のものなのである。
天皇は国民のアコガレなどとは苦しいコジツ
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