の山の端にかたむいていた。
 無限の愛と悔いのみが、すべてであった。それはまた、心を万怒に狂わせた。あらゆる罰を受けるために、その身を岩に投げつけたいと思いもした。
「天よ。月よ。無道者の命を断とうとは思いませぬか」空に向って、彼は叫んだ。
「私はそれを怖れませぬ。あらゆる報いも、御意のままです。甘んじて、八つざきにもなりましょう。劫火《ごうか》に焼かれて死ぬことも、いといませぬ。ただ、私には、たったひとつの願いがあります。私は笛をとり返さねばなりません。いいえ、きっと、とり返して、あのひとの手に渡してやります。私は、それを果さぬ限り、死にきれませぬ。いかずちよ。あわれみたまえ。私は命を召されることを怖れているのではありませぬ。あのひとの笛をとって帰るまで、しばしの猶予を与えたまえ」
 どのような手段もつくし、またどのような辛苦にも堪え、きっと小笛をとり返そうと彼は念じた。
 彼の歩みは、小笛を奪われたその場所へ、自然に辿りついていた。
 然し、谷あいの小径には、もはや盗人の影もなかった。
 大納言は途方にくれたが、徒《いたず》らに迷う心は、もはや彼には許されていない。山の奥へとわけて行けば、やがて盗人に会わないものでもないと思った。草をわけ、枝をわり、夢中に歩いた。
 もはや自分の歩くところが、どのあたりとも覚えがなかった。山の奥に踏みまよっていた。行くてに笹の繁みをくぐり常に逃げる何物かあり、頭上に蝉がとびたって、逃げまどい、枝にぶつかる音がきこえた。
 と、行手はるかに、ののしりどよめく物音が、渡る風に送られて、きこえたような思いがした。たたずんで耳をすますと、まさしく空耳のたぐいではない。音をたよりに忍びよると、木蔭のかなたに焚火をかこむあまたの人の影がみえ、それはまさしく盗人どもにまぎれもなかった。
 彼等は酒に酔い痴《し》れていた。すでに宴も終りと思われ、あたりは狼藉をきわめて、ある者はののしり、ある者は唄い、また、ある者は踊り浮かれていた。

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 ぬすびととねずみは、三輪の神とおなじくて、おだ巻のいとのひとすじに、よるをのみこそたのしめ。
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 大納言は最も近い木蔭まで忍びよって、さしのぞいた。彼等の獲物と覚《おぼ》しきものを物色したが、遠い夜目にはさだかに見える筈がなく、小笛のありかを突きとめることができ
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